【親子インタビュー】レジャーからレスキュー、そして気づけば水上バイク関連メーカーに入社|PWC×FAMILY|鈴木家

親子で同じ趣味を持つことに、憧れを抱くひとは少なくありません。

コミュニケーションのきっかけになったり、子どもが大きくなっても一緒の時間を過ごせたり、趣味が潤滑油となって関係が上手くいくこともきっとあるでしょう。

近年は水上バイクでも、子どもが免許を取得して親と一緒に楽しむケースが増えています。

ここでは水上バイクが繋ぐ様々な親子の物語を、少しだけ紐解いていきましょう。


レース、レジャー、レスキュー、そしてレース
時代とともに変遷する水上バイクとの関わり方

インタビューに応えてくれた鈴木壮馬さん(左)と寿男さん(右)

HWSM 寿男さんはいつから水上バイクに乗っていますか?

寿男(父) 23歳か24歳のころです。

HWSM 今は何歳ですか?

寿男(父) 63歳なので、乗りはじめて40年ぐらいになりますね。

HWSM 乗りはじめたきっかけは?

寿男(父) 当時務めていた職場の先輩が船に乗っていたんですけど、そのひとが「面白いオモチャを買ったから乗りに来いよ」と誘ってくれて。それが初代X-2だったんです。先輩の船に積んで、ちょっと沖に出て、会社の同僚6~7人で乗せてもらったんですけど、持ち主の先輩以外は誰ひとり乗れなくて。引きずられて乗り込めないままその日が終わりました。乗れない悔しさで頭が痛くなるほどでしたよ。それで次の年に先輩と同じルートでアメリカから木箱のまま輸入してもらって、そこから本格的に乗りはじめた感じです。

HWSM X-2からのスタートだったのですね。

寿男(父) 一般的なスタンドアップタイプはまともに乗ったことがなくて。ひとのやつを少しだけ乗せてもらったことはあるけど、自分でそれを極めようというのはなくて。ずっとX-2ばかり乗っていましたね。

HWSM 購入後は毎週のように乗られていましたか?

寿男(父)一緒に乗る仲間がいつの間にか6~7人はいたので、天気の良い休みの日はかならず彼らと乗っていました。年間で50日ぐらい乗っていましたね。

HWSM その当時のお仕事は会社員ですよね?

寿男(父) 普通に勤め人として働いていました。休みの日で海が荒れていなければ、他のことはいっさいせずに乗りに行っていましたね(笑)。自宅から海まで5~6kmしかないので、朝起きて天気が良ければみんなに電話で連絡して。海に行ってブイを張って、みんなで追いかけっこみたいなことをしていましたね。

HWSM レースには出られていましたか?

寿男(父) 草レースにちょろっと出るぐらいで。大きな大会は富津でやったJJSBAのレースに1度出ただけ。この辺で水上バイクに乗っていたひとはレースよりも海でフリーライドしているひとが多かったんじゃないかな。

寿男さんが当時乗っていたマシンそのものは残っていませんが、パーツはガラスケース内で大切に保管されていました

HWSM 壮馬さんが生まれたときは水上バイクに乗っていましたか?

寿男(父) そうですね。バブルが崩壊したぐらいのころは乗る機会が減っていましたけど、水上バイクを手放すことはなくずっと所有していました。

HWSM お子さんを連れて一乗りに行ってましたか?

寿男(父) そうですね。X-2にはさすがに乗せなかったですけど、ランナバウトも持っていたのでそれに乗せたりしていました。

HWSM 何歳ぐらいから?

寿男(父) 歩きはじめてすぐだったから、2歳とか3歳かな。

HWSM 壮馬さんはそのことを覚えていますか?

壮馬(子) なんとなくは覚えています。スロープですっころんで頭を打って泣いていたこととか(笑)。Sea-Dooの白と緑の水上バイクに乗った記憶もありますね。

寿男(父) 2ストのGTXにしばらく乗っていたので、それのことかな。

壮馬(子) ハンドルにしがみついて乗っているみたいな。それが水上バイクの最初の記憶ですね。

ライフジャケットを着た幼少期の壮馬さん

HWSM 水上バイクに乗るのは楽しかったですか?

壮馬(子) 楽しかったですね。父の友人やその家族たちとワイワイBBQしながら水上バイクに乗るのが好きでした。

HWSM その時期はご家族で乗りに行くことが多かったですか?

寿男(父) そのころは川岸でBBQしながら家族でランナバウトに乗ったり、よくあるレジャーっぽい乗り方をしていましたね。

HWSM その時期はX-2は?

寿男(父) 少し離れていましたね。所有はしていましたけど、その時期は少し冷めかかっていたというか。

HWSM 水上バイクが自分だけの趣味から、家族で楽しむものに変わったわけですね。お子さんが生まれる前から、一緒に乗りたいとは思っていましたか?

寿男(父) そうですね。だから小さいころから連れて行っていましたし、本人も水上バイクに乗るのがキライではなかったみたいなので。自分の周りでは子どもたちが大きくなると一緒に遊びに来てくれないっていう家庭もあったけど、うちはそういうこともなく。だから16歳になったら免許も取るだろうなとは思っていました。

HWSM 免許はすんなり取れましたか?

壮馬(子) 水上バイクの免許に関してはそれほど厳しくない高校だったので、担任の先生に相談したら「いいんじゃない」って快諾もらえて。原付の免許を取るのも色々な条件があったんですけど、それもクリアしていたので16歳になってすぐの同じ週に両方取りにいきました。

HWSM 小さいころから自分で操船してみたいと思っていましたか?

壮馬(子) いつかは自分で操船してみたいとずっと思っていました。水上バイクは楽しいノリモノだと小さいころから思っていたので。

HWSM 何歳ぐらいまで一緒に乗りに行っていましたか?

壮馬(子) 地元を離れるまでは付いていっていたので、3~4年前ぐらいですかね。

寿男(父) 中学からずっと駅伝(陸上)をやっていたので、土日も部活が忙しくてそれほどたくさん乗りに行けたわけじゃなかったですけどね。あとはいつの間にか遊びではなく半分仕事で乗るようになっていました。

学生時代は駅伝の選手として活躍していた壮馬さん(ゼッケン141番)

HWSM 半分仕事とは?

寿男(父) トライアスロンの大会のレスキュー艇とかオフィシャル艇で水上バイクが出るんですけど、その手伝いに自分が行くようになって、息子もそれに付いてきていた感じです。

壮馬(子) 16歳で免許を取って、それからは遊びではなく父の手伝いで乗っていましたね。

HWSM レスキューなどの仕事のお手伝いというと、あまり楽しく無さそうですがそれでも付いていっていたのには何か理由が?

壮馬(子) お台場海浜公園の目の前でトライアスロンの日本選手権があるんです。そこで僕は審判を乗せる水上バイクの操船とかもやらせてもらっていたんですけど、同年代の友人とかではなかなかできないような経験ですし、社会の役に立っているという実感もあったので。

HWSM 寿男さんがレスキューなどの活動をはじめたのはいつごろですか?

寿男(父) ウォーターリスクマネジメント協会(WRMA)の水上バイクレスキュー講習を受けに行ったのが2003年で、そのころから救助活動を意識しはじめました。その後、千葉県トライアスロン連合の大会に出ていた知り合いから、トライアスロンの大会の救助を水上バイクでやろうという話しが出て。それまで千葉県の大会には水上バイクが導入されていなかったので、それならということでお手伝いするようになったのが2009年です。

HWSM なぜレスキュー活動を?

寿男(父) 水上バイクがレスキューなどに向いているのはわかっていたのと、水上バイクは悪いニュースばかり目立ってしまうから、役に立つこともできるんだよ、という思いがずっとあったので。

HWSM 今でもトライアスロンの大会でレスキュー活動を?

寿男(父) 水上バイクでの迅速な救助は必要不可欠だと思っていますし、大会中に溺れてしまったひとを何度か救助したこともあるので、ヤメようと思ったことはありませんね。

HWSM レスキュー活動はボランティアで?

寿男(父) そうです。WARPというレスキューチームを仲間たちと一緒にボランティアでやっていて、息子もチームメンバーのひとりです。

仲間たちと起ち上げたレスキューチーム「WARP」
ホットプロダクツジャパンの「ジェットエアフロート」を装着した2艇のレスキュー艇を所有

HWSM トライアスロンの他にも活動されているのでしょうか?

寿男(父) 地元の消防署とも協定を結んでいて、要請があればレスキューに行きます。そこの消防署には水上バイクがまだなくて、海で溺れているひとがいても消防隊員は水際で見ているしかなかったんですよ。海は海上保安庁、岸に上がってきたら消防と警察という感じだったので、消防隊員のひとたちも歯がゆい思いをしていたみたいで。そのタイミングで縁あって知り合うことになり、今は自分たちの水上バイクを使って一緒に訓練しています。息子もそれに参加していました。

HWSM そして壮馬さんは大学を卒業後、ファクトリーゼロに入社されましたね。水上バイク関連の企業に就職したのは、何か理由が?

寿男(父) 自分が誘導したわけでも勧めたわけでもなく、巡り合わせでそうなったことは先に言っておきます(笑)。

壮馬(子) 大学まで10年間、駅伝(陸上競技)をやっていたんですけど、卒業後は地元の消防署で働きたいと思っていたんです。在学中もこちらに帰ってきて、消防の方たちと一緒に訓練していたというのもあって。それで試験を2回受けたんですけど、どちらも落ちてしまって。ちょうどコロナ禍ということもあって、消防署の採用倍率が数十倍まで跳ね上がっていたんです。そのまま大学を卒業する3月まで勤め先が決まらなくて。

HWSM 当時よく言われていた就職難民になってしまったと。

壮馬(子) この先どうしようか悩みましたけど、ひとまず大学の附属高校で駅伝のコーチみたいなことをやらせてもらえることになって。ただフルタイムで働くわけではないので、その期間も消防の訓練に参加したり、あとは父が「何もしないのはもったいないから」と言ってくれて色々な資格を取りました。大型自動車や大型特殊、けん引免許、クレーン、玉掛け(クレーンのフックに荷を掛けたり外したりするための資格)、1級小型船舶と、この期間にたくさんの免許を取らせてもらって。

HWSM そこからどうやってファクトリーゼロに?

壮馬(子) 2021年のボートショーで、ホットプロダクツジャパンがRIVA仕様のSuperJetをジェットランチャーに乗せてファクトリーゼロのブースで展示していたんですけど、そのSJを静岡まで取りに行く必要があったみたいで。

寿男(父) ホットプロダクツの斉藤社長とは以前からお付き合いがあって、「うちの息子がヒマしているので手伝いに行かせましょうか?」と声を掛けさせてもらったら「そういうことならお願いします」ということになって。その成り行きで静岡までSJを取りに行ったみたいです。

壮馬(子) それで搬入日にSJを会場に持って行ったんですけど、会期中の1日だけ斉藤社長が不在の日があるので、チラシ配り要員としてブースに立ってほしいと言われて。それでホットプロダクツでもファクトリーゼロでもない、SJについても何も知識がない無知の人間がブースに立っていたんです(笑)。そのときに弊社の今泉(ファクトリーゼロ取締役)と話しをする機会があって、自分が知らずに使っていたレスキュースレッドとかジェットランチャーとかはここの会社の商品なんだということを知って。その後も色々な話をしたんですけど、ボートショーの終わり際に「今の仕事は?」と聞かれたので「就職難民で……」と答えたら、「良かったらうちにくる?」と言ってもらって。

ボートショー2021でブース前に立っていた壮馬さんの写真を発見!

HWSM そのときはまだ消防隊員になるつもりでしたか?

壮馬(子) 目指してはいたけど、半分は諦めていたみたいな。中途半端なヤツでした(笑)。だから声を掛けていただいたあともファクトリーゼロに入社させてもらうか、消防隊員の試験を諦めずに受けるか、駅伝の指導者の道を進むかずっと悩んでいて。それで最終的に「ファクトリーゼロにお世話になろうと思う」と父に伝えました。

HWSM それを聞いて寿男さんはどのような心境でしたか?

寿男(父) 「ファクトリーゼロってどんな会社ですか?」とすぐ斉藤社長に電話しました(笑)。「ちゃんとした会社ですよ」ということだったので、それなら大丈夫だろうと。息子には良いとも悪いとも言わず本人の判断に任せました。

壮馬(子) それから履歴書を送って、最終的に弊社の岩根(ファクトリーゼロ代表取締役)と今泉との面接を経て2021年10月に入社しました。

HWSM 息子さんが水上バイク関連の仕事に就くなんて思ってもみなかったですよね。

寿男(父) 数か月前までは消防しかなかったんですから(笑)。

壮馬(子) 僕も数か月前までは消防しか頭になかったですよ(笑)。

寿男(父) 不安はよぎりましたけど、しっかりとしたモノづくりをしている会社ですし、信頼しているひとからのお墨付きもありましたから。自分が若いころから好きだった業界に息子が足を踏み入れるうれしさもありつつ、やっぱり不安もありつつ。半々ぐらいの気持ちでしばらく揺れていました(笑)。

HWSM 壮馬さんは現在、ヴィンテージマシンに乗ってレースにも出られていますね。

壮馬(子) 入社してから1年ぐらいたったころに、会社で水上バイクの色々な楽しみ方を紹介する動画を撮影することになったんです。それで村尾高明さん(元フリースタイラー・フリーライダー/ヴィンテージ水上バイクの火付け役)とか55 HEAVENの加藤豪さん(水上バイクショップ店主/ヴィンテージレーサー)とか数名のひとが協力してくださって。九十九里でフリーライドしたり、トーイングサーフィンしている動画を撮影して、その日の昼食のときにOUT A TIME SPORTS(ヴィンテージマシンのタイムアタックレース)の話しになったんですけど、「鈴木くんも出ちゃいなよ」って軽いノリで村尾さんから誘ってもらって。

HWSM そのときヴィンテージマシンに乗ったことは?

壮馬(子) まったくなかったです。僕が免許を取ったときは、父もX-2に乗っていなかったので。スタンドアップに乗ったこともほとんどなくて、800 SX-Rに1~2回乗ったぐらいでした。そんな状態だったんですけど、なんとなく出てみようかなと思って父に連絡しました。

寿男(父) 「レースに出るからマシン作って!」と突然言われて(笑)。550なんて持っていなかったから、色々な知り合いのところに眠っていたものを譲ってもらって、それを組み合わせてなんとか1台作って。どうにかこうにか間に合わせました。

寿男さんは壮馬さんの専属メカニックとしてマシン制作から修理・メンテナンスまで対応

壮馬(子) それから2回ぐらい練習してレースに出たんですけど、直立不動でガチガチになりながらなんとかブイを回るような状態で。周りに知り合いもいないから、もう怖くて怖くて(笑)。

HWSM とても楽しめるような状態ではなかったと。

壮馬(子) 1周目が練習走行で、そこで4回転びました。「本番これだったらカッコ悪いぞ」と思って、超安全運転でフラフラしながらなんとか転ばずにゴールできたんですけど、もちろんタイムは散々で。それが悔しくて悔しくて。もっと上手くなりたいと思うようになりました。

HWSM それからたくさん練習するようになったと。

壮馬(子) ジェットフィールド湘南(神奈川県平塚市)で55 HEAVENのみなさんが乗っていたので、そこに意を決して「よろしくお願いしまーす!」と入っていって。それから今まで、毎週日曜日はほとんど欠かさず練習しています。

HWSM お父さんの若かりしころと同じですね。

壮馬(子) DNAが受け継がれているんでしょうね(笑)。

寿男(父) 水上バイクのなかでも特にスタンドアップは、自分が上手くなっていくのが如実にわかるじゃないですか。乗るたびに手応えを感じられるので、息子もそれが楽しいんじゃないですかね。

HWSM 小さい頃に夢見ていた「仲間と楽しく水上バイクに乗る」というのが実現しましたね。

壮馬(子) まさに思い描いていたとおりになりましたね。夏場はゲレンデが混雑しているので、ある程度空いてきた夕方から日没までの2時間ぐらいでみっちり乗るんですよ。部活みたいです。終わったあともファミレスで閉店まで水上バイク談義に花を咲かせて。

HWSM 楽しそうに水上バイクに乗っている息子さんを見て、お父さんとしてはどのような心境ですか?

寿男(父) いつの間にか自分の世界ができたなと微笑ましく見ています。息子のマシンのメンテナンスには関わっていますけど、息子が作った人間関係は大切にしたいので、住む場所もそれなりに離れた今の距離感がちょうどいいかなと思っています。

HWSM ふたりで一緒に乗ったりすることは?

寿男(父) まだないですね。自分が乗るよりも、今は息子のマシンの面倒を見ることが忙しい感じ。いつ壊れたと言ってくるかわからないし、いつまでに直せと言われるのもイヤだから、スペア艇も作ろうと思っているので。

HWSM 今は全日本選手権シリーズにも出られていますからね。レースは楽しめていますか?

壮馬(子) 楽しいです。ようやくみなさんと競えるぐらいには乗れるようになってきたので。

寿男(父) ただ息子の性格上、「あいつに絶対勝つんだ」という競争心はないんですよ。陸上をやっていたときもそうだったんだけど、平和的というか(笑)。ブイと隙間を開けて「お先にどうぞ」みたいな(笑)。

HWSM 誰かと競うよりも、自分のスキルが向上していくことに喜びを覚えるタイプなのですね。

壮馬(子) 他のひとのマシンと接触して傷つけるのもイヤですし、ぶつけた方もぶつけられた方もお互いイヤな気持ちになるので、そこまで無理をしなくてもいいかなって。ヴィンテージマシンだから余計に気を遣う部分はありますね。でもいずれはイチバンになりたいです。

HWSM そうなるとぶっちぎりで1位になるしかないですね。

壮馬(子) ホールショットでそのまま逃げ切らないとダメですね(笑)。きっと父が速いマシンを作ってくれるはずです……(笑)。

2024年はJJSA全日本選手権シリーズに参戦。年間3位の成績を収めました

HWSM 息子さんがレースに出ていて、心配ではありませんか?

寿男(父) バイクのレースに出るよりはいいよね、地面じゃなくて水だし(笑)。550ならそこまで大ケガをすることもないでしょうから。ランナバウトとか4ストのSKIクラスは、ちょっと怖いかな。

HWSM 自分がのめりこんだ水上バイクに息子さんが同じように熱中している姿を見て、どう思いますか?

寿男(父) 自分はレースに出ていたわけではないですけど、若いときの自分と重なりますし、うれしいですよね。ただプレッシャーもありますよ。マシンを作っている身としては。日曜日の夕方ごろに電話が掛かってきたら、「ああ、壊れたんだろうな」とか。

壮馬(子) だから最近変なタイミングで電話すると出てくれないんですよ(笑)。

HWSM 壮馬さんがレースに出るようになって、お仕事の面で変化はありましたか?

壮馬(子) 水上バイクのレースをはじめてから親しくなった販売店さんが多いかもしれないです。初対面でご挨拶させてもらうときも、「550に乗ってるんですよ」と言うと心の距離がグッと近くなることがあって。

HWSM 一時は就職難民で先行きが不安な状況でしたが、今は仕事も趣味も充実しているようで親としてはひと安心ですね。

寿男(父) 羨ましくもありますよね。今は諸先輩方から、あらゆるものを吸収するとき。10年後、業界のフロントラインに立っている姿を見せてほしいです。

HWSM ヴィンテージ水上バイクの魅力はどこにあると?

寿男(父) やっぱり2ストエンジンでしょう。自分はクルマ業界で仕事をしていますけど、クルマを触っているひとでも2ストって知らないひとが多いんですよ。クルマもバイクもだいぶ前に4ストに変わっちゃっているから。2ストエンジンは部品点数も少なくてシンプルな構造ですけど、チューニングも色々なやり方があって、そういう楽しさがありますよね。乗って楽しい、イジって楽しい、修理して楽しいみたいな。

HWSM 壮馬さんのマシンを直すのも楽しいですか?

寿男(父) ……、直ったときは楽しいかな(笑)。直るまでの悩む時間とかプレッシャーは楽しくないです。

HWSM 壮馬さんはヴィンテージ水上バイクのどこが楽しいですか?

壮馬(子) 日々成長していることを実感できるところですかね。あとは誰にでも乗れるノリモノではないところに、若干の優越感を感じられるのも魅力です。

HWSM もし壮馬さんが結婚されて、お子さんが生まれたら一緒に水上バイクに乗りたいですか?

壮馬(子) 乗りたいですね。

HWSM 寿男さんはお孫さんと一緒に乗りたいですか?

寿男(父) そうですね(笑)。

壮馬(子) 乗るでしょ。みんなでブイを張って。

寿男(父) みんなで追いかけっこするか。


親子のホンネトーク

ここからは親子別々にインタビュー!

直接言いづらいことや親子ならでは悩みなどをホンネで語ってもらい、お互いへのメッセージをボードに書いてもらいました。

親から子へ

 

HWSM お子さんが水上バイクに乗るようになって、親子の関係に変化はありましたか?

寿男(父) うーん、そうですね、変わってはいますかね。半分お客さんになったかな(笑)。複雑なお客さん(笑)。ただ距離が離れているから、すぐにマシンを見てあげられるわけでもないので。55 HEAVENの加藤さんにお任せしたほうがいいのかもしれないけど、自分で見てあげたいという気持ちもあるし。

HWSM お子さんではなく後輩ライダーとして、アドバイスはありますか?

寿男(父) 仲間のみなさんとの人間関係を大切にしてほしいですね。関係性がおかしくなってしまうと、水上バイクも楽しく乗れなくなってしまうので。あとは仕事と趣味の線引きが難しいと思うので、そこにも気をつけて良い距離感で楽しんでくれればいいかなと思います。

HWSM 乗り方について助言することはありますか?

寿男(父) アドバイスしても耳を貸さなかったりするので(笑)。身内からの助言よりも他人からの方が受け入れやすいでしょうしね。だからそういうことはあまり言わないようにしています。言った方も気分悪くなるので(笑)。あと自分はX-2なので、550とは感覚が違う部分もありますから。

HWSM 仕事と趣味を両立されていますが、できればこの先もずっと続けていてほしいですか?

寿男(父) そうですね。遊びでやっていることが仕事に反映できて、遊びを頑張ればお客さんも増えるかもしれないですし、両立して頑張ってほしいですね。

HWSM いつまでも水上バイクには乗っていてほしいですか?

寿男(父) たぶんヤメないでしょ(笑)。これだけ好きになっちゃえば。人にも恵まれていますしね。思えば陸上をはじめた中学生のころから、息子は人との出会いには恵まれていました。今も素敵なひとたちに囲まれているのがひしひしと伝わってきます。「特別な星」にでも照らされているかのように。その繋がりを大切にして、これからも楽しく人生を歩んでほしいです。

子から親へ

 

HWSM 水上バイクに乗っているときと普段のお父さんに違いはありますか?

壮馬(子) 普段はフワ~っとしているような感じなんですけど、やっぱり水の上にいるときのほうが生き生きとしていますね。ずっと楽しそうで、常に笑っている感じです。

HWSM マシンのメカニックは基本的にお父さんにお願いしているんですよね?

壮馬(子) そうですね。頭があがらないです。父がいなければレースに出られなかったですし、続けられていないと思うので。

HWSM 自分で乗り始めたのもお父さん影響が大きいですよね。

壮馬(子) やっぱり心のどこかで父が水上バイクに乗っている姿を見ていて、憧れている部分もあったんだと思います。それは過去形じゃなくて現在進行形で、63歳で消防のひとと一緒に訓練している姿は今見てもスゴいと思います。ただ訓練に行けるならX-2も乗れるだろとは思いますけど(笑)。早く一緒に乗りに行けるといいんですけどね。

HWSM いつまでも水上バイクに乗っていてほしいですか?

壮馬(子) そうですね。水上バイクに乗らなくなったら一気に老いが加速しそうな気がするので(笑)。なるべく体が悪くならないうちは乗っていてほしいです。

HWSM 今後のレースでの目標は?

壮馬(子)  とにかくレースでイチバンになることです。マシンを作ってくれる父もそうですし、アドバイスをくれる芳賀さん(レジェンドライダー)や村尾さん、加藤さん、ニックネーム(HEINZ|ハインツ)を付けてくれたホットプロダクツUSAのスコットさん、ファクトリーゼロに導いてくれたホットプロダクツジャパンの斉藤さん、いつも「頑張ってこいよ!」と送り出してくれる社長や今泉をはじめとした会社のひとたちには心から感謝しているので、恩返しの意味でもイチバンになりたいです。いつもレースのお土産として父に表彰プレートを渡しているんですけど、いつか一番いい盾をあげられたらいいですね。


ファクトリーゼロ
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