【インタビュー】ジェットスポーツ界に芽吹いた若き才能|次世代レーサー海老原祥吾の「これまで」と「これから」

海老原祥吾  Shougo Ebihara

2000年3月21日生まれ。25歳。栃木県壬生町出身。2025年JJSA全日本選手権シリーズPRO SKI GPクラスで念願のシリーズチャンピオンを獲得。レーサーとしての顔の他に、塗装業の会社を切り盛りする経営者としての一面も。


水上バイクが身近にあった幼少期

――はじめて水上バイクに乗ったときのことを覚えていますか?

たぶん最初は3歳ぐらいだったと思います。僕が生まれたときにはお父さんがレジャーで水上バイクに乗っていて、夏場は毎週、水辺に行っていました。その影響で日曜日に遊びに行ったときに乗せてもらったりしていました。自宅から30分ぐらいのところにゲレンデがあったのでそこで乗ったり、東京湾にツーリングに行ったのも覚えています。

――水上バイクに乗ることが家族の日常だったと。

そうですね。お父さんとお母さんと、あとは3歳上のお兄ちゃんも一緒に、夏の日曜日は家族みんなで出かけていました。

――そのときの水上バイクの印象は?

物心ついたときからそういう環境だったので、その当時はアタリマエのものだと思っていました(笑)。ボートなどと同じ、水の上を走るノリモノのひとつという認識でしたね。今考えれば特別な経験をさせてもらっていたんだと思います。

――家族と水上バイクに乗っていたのは何歳まで?

僕が中学生になったときには、お父さんとふたりで行っていましたね。お母さんは「もう(子どもたちが)ふたりとも大きくなったから」と言って、付いてこなくなって(笑)。お兄ちゃんも水上バイクより陸のバイクにハマったみたいで。

――海老原さんは他のノリモノやアソビに目移りすることはありませんでしたか?

小さいころから水上バイクに乗るのが好きだったので、家族が離れていっても僕は最後までお父さんと一緒に乗りに行ってましたね(笑)。

――自分で操船してみたいと思っていましたか?

ずっと思っていて、16歳になったらすぐに免許を取りに行きました。

――免許を取って最初に自分で操船したのは?

カワサキのスタンドアップ(1人乗り)でしたね。お父さんがランナバウトと両方持っていて、僕はスタンドアップのほうが好きだったので。

――そのころからレースに出たいと?

まったく考えていなかったです。最初はとにかくスタンドアップで立ちたいと思って練習していて、いざ立てるようになったら次はもっとスピードを出したい欲が出てきて。全開で走れるようになったらその次は上手に曲がれるようになりたい、もっと速くなりたいって思うようになりました。とにかく楽しくて、もっと上手くなりたいという思いでした。

――乗ることが好きだったのですね。

レースに出たいから頑張っていたわけではありませんけど、自然とレースの方向を向いていたんだと思います(笑)。あとは今のチーム(CLEVER Water Cross Racing)でマネージャーをやってくれている方の弟さんと僕のお父さんが友人で、あるときにそのマネージャーさんを紹介してもらったんです。それでスタンドアップに乗っているなら「来週から利根川においで」って誘ってもらって(利根川では多くのプロライダーが合同で練習)。

――そこでジェットスポーツの世界を目の当たりにしたと。

いざ行ってみたらスゴいひとたちがスゴい勢いでブイを回っていて(笑)。もともとレースに興味はなかったんですけど、そんな僕でも雑誌で見たことがあった桜井さん(桜井直樹選手)とか砂盃さん(砂盃肇選手)っていう有名選手の走りを目の当たりにして。「こんな世界もあるのか」と衝撃を受けたことでレースの世界にのめり込んでしまいました。

――いざレースに出ることになって、ご両親の反応はいかがでしたか?

お父さんは最初から応援してくれました。お母さんは心配の方が強かったみたいで、「危なくて見ていられない」と言って練習も見に来なかったですね。

――海老原さんには師匠と呼べるような特定の人物はいますか?

利根川にはたくさんのトップライダーがいて、いろいろなひとがアドバイスをくれるので特定の誰かというわけではありませんね。強いて言うなら利根川にいる全員が師匠です。

――もっとも影響を受けたひとは?

自分がレースに出る前から桜井さんは雑誌でも見ていて、いざ利根川で練習するようになってからもやっぱりスゴいひとだなって肌で感じていたので、今思い返すと当時の自分は桜井さんに憧れていたのかもしれません。

――ご自身が理想とするレーサー像は?

レースをやめたあとでも「あのひとはスゴかった」と言われるようなレーサーになりたいです。そのためにも国内と世界でもっと結果を残して、多くのひとの記憶に僕の名前を刻んでもらわないといけないですね。

9年目の初勝利がもたらしたもの

photo/Jin Omura

――最初のレースは何歳のときでしたか?

免許を取った年なので16歳です。たしか2016年のJJSBA第3戦(B SKI STKクラス)で、猪苗代湖での大会だったと思います。

――結果は12人中6位でした。デビュー戦としては大健闘といえそうですが。

最初から優勝できるほど甘くはないと思っていたので、順位はまったく気にしていませんでしたね(笑)。走り切れて経験を積めたのでよかったです。

――どんな気持ちで走ったか覚えていますか?

とにかくガムシャラに走って、ただただ楽しかったのは覚えています。一緒に練習していた利根川のひとたちも応援してくれて、とてもいいレース人生のスタートになりました。

――その次のレースで優勝して勢いに乗り、シリーズ2位に。翌2017年は昇格してOPEN SKIクラスでシリーズチャンピオンとなり、最短の3年目で最上位カテゴリーのA SKIまで昇格しました。

A SKIではあまりお金をかけず、Bクラスで走るようなストックのマシンでどこまでいけるのか挑戦していたというのもあって、そこからはなかなか勝てませんでしたね。メカニックもいなかったので、壊れたら原因不明のまま走れない、なんてこともありました。

――マシンはご自身で?

足回りのセッティングを見てくれていた元プロライダーの金子広雅さんに助けてもらうこともありましたけど、基本的には自分でやっていたので成績は振るわなかったですね。

――2021年からはJJSA(日本ジェットスポーツ協会)のPRO SKIクラスに主戦場を移しました。

このシーズンは年間5位で、2022年と2023年が年間3位でしたけど、1位でゴールしたことは一度もなくて。2位とか3位とかそこそこの成績は残せていたんですけど、トップカテゴリーの難しさを痛感しました。2024年はマシンを乗り換えたこともあって、年間6位でした。

――そして2025年の開幕戦で念願の1位奪取となりましたが、何かきっかけが?

唯一変わったのはマシンですね。2025年からハイペリオンに乗り換えて、それが一番大きかったと思います。それ以外のメカニックとかチーム体制は変わっていないので。

――ご自身に合っていたということですね。

僕が重要視しているコーナーの入りの感覚とか鋭さがとてもすぐれていて、その部分が僕に合っていました。旋回時のクイックネスは他にはない魅力だと思います。安定性ももちろん高いですけど、それはどのハルでもある程度は持っているものなので。

――成績に直結するぐらいの変化だったのですね。

劇的に違いましたね。今までにない感覚というか。エンジンのスペックとか中身はまったく変わっていないので。このハルが最後のピースだったというか、歯車がガッチリかみ合った結果だと思います。

海老原選手の相棒「ハイペリオン」

――初戦で初優勝となりましたが、続く2、3戦目は白星から遠ざかりました。

2戦目はワールドシリーズを兼ねた大会で海外選手も出場していて、周りが世界仕様の状況で僕は初戦で勝てたマシンをそのまま持って行ったんですけど、世界はそんなに甘くなかったですね(笑)。マシンスペックだったり足回りがそのままでは世界では通用しないということを痛感しました。

――3戦目は3位でした。

全レース2位で、トシくん(小原聡将選手)とソウシにあと一歩届かず総合3位でした。ちょっと気合いが足りなかったですね(笑)。ただ1位にはなれませんでしたけど手応えはあったので、悔しかったですけど悲観はしていなかったですね。

――勝てなかったときにメンタルが乱れることは?

悔しい気持ちとか落ち込むことも少しはありますけど、敗因を探ったり次に向けてトレーニングとか練習を強化して、次に向けて前向きに取り組めるので切り替えは早いと思います。

――その成果もあってか、4戦目と5戦目は1位で見事に年間チャンピオンとなりました。決まったときの率直な心境は?

もちろん喜びましたけど、僕としては初戦の初優勝の方がうれしかったんです。1戦目は前の年もその前もずっと結果が出せていなかったので、不安要素しかなかったんですよね。そこで勝てたことは本当にうれしかったですし、シリーズチャンピオンに向けて勢いづきました。もしそこで2位だったら、チャンピオンにはなれなかったかもしれません。最終戦はある程度自信を持ってレースに臨めていたので、レースが終わってホッとした気持ちのほうが強かったですね。

――最大の勝因は?

ハルが変わったこともたしかに大きかったですけど、チームの環境やメカニックとの連携、エンジンや足回りの開発とか、これまでみんなで一丸となってやってきたことがかみ合った成果だと思います。

「ガッツがあるし応援したくなるライダー」とメカニックの小西洋一さん

――怖くて見られないと言っていたお母さんの反応はいかがでしたか?

1位になったよって報告したら、やっぱり喜んでくれました。というかあとから聞いたんですけど、JJSAのライブ配信を2024年ごろから見ていたらしくて(笑)。少しずつ応援する気持ちになってくれたみたいです。

――2025年は海老原選手以外にも若手の台頭が目覚ましいシーズンでしたが、同世代の活躍は意識しますか?

やっぱり自分にもプライドがあるので、負けられないっていう思いはあります。もちろん大ベテランの選手もライバルではあるんですけど、同じ世代の方がその意識は強いです。

――ちなみにそのなかで仲の良い選手はいますか?

2025年のシリーズランキングで3位だったソウシ(佐藤颯志選手)は同じ利根川で練習していて毎週顔を合わせているので友だちみたいな感覚ですね。ただ僕の方が4、5年はレース歴が長いので、レースでは彼に負けたくない思いもあります。

世界の舞台で実感した海老原祥吾の現在地

photo/Jin Omura

――仕事終わりや休日はどのように過ごしていますか?

平日は仕事が終わったらトレーニングをしたり、あとは体のメンテナンスをしたり、マシンを触ってみたり、ジェットに関することばかりですね(笑)。

――トレーニングはどのようなことを?

週1でかならず乗っているのと、その他にはプールに行ったり、合間を見て縄跳びをやったり、体力アップを狙った有酸素運動を中心にしています。

――筋力より体力の方が重要ですか?

今は体力を重視しています。2024年は筋肉をつけるためのトレーニングをしていたんですけど、結果につながらなくて。2025年は方向転換して有酸素運動を中心に1年間取り組んだら結果が出たので、今の僕にはこれが合っていたのかなって。

――海老原選手が理想とするレース展開を教えてください。

最後尾からゴボウ抜きして1番になるっていうのが、昔から憧れているシチュエーションですね。自分だけじゃなくて観客のひとたちも楽しませるレースをしたいと常に思っているので。個人的にはホールショットから独走して余裕のあるレース展開がもちろん安心ではあるんですけど(笑)。見応えのあるレースにするなら追い上げていくのが理想ですよね。

――レーサーとしての自分の長所は?

レースで走る前のメンタルコンディションの整え方は得意だと思います。レース前に緊張してガチガチになったり波があるひともいると思いますけど、自分で言うのもなんですけど僕って落ち着いているタイプなので(笑)。

――お話ししていてもそのように感じます。

レースが近づいてもずっとこのままなんですよ。だから常に冷静でいられるのは強みなのかなと思います。

――緊張もしないのでしょうか?

緊張はしてるんですけど、練習とかトレーニングなどのレースに向けた準備を「自分はこれだけ努力してきたんだから大丈夫」と思えるまでやることで、不安になるような悪い緊張はしないですね。

――レース前のルーティンなどはありますか?

縄跳びをやったり、音楽を聴いて意識的にテンションを上げていくようにしています。気持ちが天気に左右されるタイプなので、雨とか曇りだといつもより多めに縄跳びを跳んで追い込んでますね(笑)。まずはレースまでに気持ちを上げていかないと話にならないので。

――メンタルが安定している分、下がらないけど上がりづらいのかもしれませんね。他にレーサーとしての短所といえるようなことはありますか?

全部ですね(笑)。技術も体力もまだまだですし、メンタルももっと強くしていく必要があります。世界一を獲るまでは、どこかが足りていないということだと思うので。

――そのなかでも特に強化すべきと感じる部分は?

体力面ですね。世界でも十分通用すると思っていたんですけど、今の僕では足りませんでした。周りは水面が荒れても最後までペースを落とさずに走りきることができていたので、その部分で世界との差を感じました。

――2025年のワールドカップで感じたことですね。

ワールドカップのPROクラスで走るのは今回がはじめてで、見たことはありましたけど実際に走らないと周りの速さもわからないですし、正直なところレース前までは二桁順位かなと思っていました。もちろんレースを走るからには勝ちたいですし、表彰台に上がりたいとも思っていましたけど、そんなに甘くないだろうとも。

――世界の舞台でも冷静ですね。

世界のなかで海老原祥吾の現在地はどのあたりなのか確認しにいこう、というのもチームプランとしてあったので。マシンのスペックだったりライダーの技術にどれほどの差があるのか。それがハッキリとわかった大会でした。

photo/Jin Omura

――実際に走ってみてどうでしたか?

意外といけるじゃん! というのが第一印象でした(笑)。思っていたよりペースを乱されることなく、周囲や雰囲気にのまれることなく走れたので。

――その結果6位でした。

欲を言えば片手で収まる順位ならよかったなと終わってみて思いました(5位まで表彰)。でも自分の立ち位置と足りない部分もわかりましたし、思っていたより結果もよかったので有意義な大会だったと思います。

――当面の課題は体力面の強化ですね。

僕は負けたあとの方がとことんまでやるタイプなんですよ(笑)。トレーニングを倍に増やしたり、自分を追い込むことで次のレースに納得して挑めるようにするんです。今は明確な目標があるので、それに向けてまずは体を作っていきたいと思います。

――2026年の目標は?

チームとしての最終目標はワールドカップでの世界チャンピオンなので、今シーズンもそこを目指して頑張ります。国内のシリーズ戦も連覇を目指します。2025年に勝てたからといって同じマシン、同じライダーで勝てるほど簡単ではないので、国内で戦ううえでもレベルアップが必要だと思っています。


取材協力

マリンメカニック埼玉
https://mm-saitama.com/

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