心技体とも成長した
2024年を振り返る
2023年は2年目の挑戦で早くも世界チャンピオンに輝き、2024年は初代アジアチャンピオンの称号を手にした今ノリに乗っている鎌田六花選手。
舞台裏ではかなりの苦労があったようですが、そんなアジアチャンピオン獲得に至るまでの1年間を振り返ってもらいました。
GPマシンに乗り換えて
2024年は挑戦の年に
HWSM 2024年からGPクラスに参戦して、マシンをSX-RからProForce 2.0に変更されましたが、スムーズに乗り換えられましたか?
鎌田 1か月ぐらい練習してから4月の大会(JJSA山口大会)にでたんですけど、対応するのが難しくて初戦から大変な思いをしました。そのあともレースで走りながら一歩ずつ慣れていったような感じで。大会ごとに課題が見つかるから常にマシンのテイストも違っていて、毎回新しいマシンで走っているような気分でした。
HWSM SX-Rと同じようにはいきませんでしたか?
鎌田 乗り慣れたらいけるかなって思っていたんですけど、なかなか上手くいかなくて。乗り方もまったく違いますし、同じエンジンでも動き方が違うので、振り返ってみてもなかなか難しかったなと。
HWSM JJSA全日本選手権シリーズの第2戦で優勝したものの、それ以外はあと一歩届かないレースが多かった印象でした。
鎌田 やっぱり新しいマシンに対応できていなかったのが苦戦した理由です。1か月で3 ~ 4回しか練習できないなかで、次の大会までにどれだけこのマシンを乗りこなせるかに集中していたんですけど、それでも納得のいく走りができるところまではいけなくて。同じクラスのライバルと競うことだけに集中できなくて、レース中も自分のことばかりが気になってしまったことも結果に繋がらなかった原因だと思います。
自国開催の世界大会では
ホームのアドバンテージが裏目に
HWSM 新しいマシンに乗り慣れる1年だったようですね。そんななか6月にはアジアチャンピオンシップが日本で初開催されました。自国開催ということで、いつもより気合いは入りましたか?
鎌田 そうですね、めちゃくちゃ気合い入ってました(笑)。世界大会はでること自体も自分にとってはかなり大変なことですし、当然アウェーなんです。それが日本で開催されるからチームのみんなも、応援してくれているみんなもすぐそばで見てくれていました。
それが逆にプレッシャーでもあったんですけど、日本でそういった大会が開催されたのはすごくうれしい気持ちもあって。国内戦で何度も走ったことのある場所でも、アジアチャンピオンシップって名前が付くだけで構えちゃいました。
HWSM かなり緊張もされたと。
鎌田 緊張もしたんですけど、日本だからこそ逆に気持ちがしっかり作れていない部分があって。言葉も通じるし、ご飯だって簡単に食べられるし、タイのワールドカップとくらべたら何でも簡単にできますし、時間にも余裕があるからアレもコレも欲張ってしまって。ついつい練習し過ぎてしまったり……。
あとは海外のレースだと色々なことを想定してしっかり準備するんですけど、日本開催だから現地でもなんとかなるか、っていう甘えた気持ちもどこかにあって。そういう部分もレースに繋がってくるんだなっていうのを改めて感じて終わってから反省しました。
HWSM レース本番のコンディションがあまりよくなかった?
鎌田 レースが始まってしまえば全力なので、疲れていても調子が悪くてもやることは変わらないんですけど、たとえば徹夜明けと休息バッチリの状態では当然レースの内容に差がでてきますよね。今回は万全の状態では挑めなかったので、そこは悔しかったです。
HWSM 自国開催で有利かと思いきや、悪い方向に作用してしまったようですね。
鎌田 もう次はちゃんとします(笑)。とても勉強になりました。
HWSM そんな状況でも、アジアチャンピオンシップの初戦は3位でした。これは納得のいく順位でしたか?
鎌田 自分が何位になったかというよりは、レースの内容に自分が納得できるかをいつも考えていて。レース中にこうできたんじゃないかとか、あそこでミスをしてしまったとか。
もちろん走るからには1位を目指しているので順位も悔しいんですけど、それ以上にあのレースはもっとできたことがあったと思うので、次はしっかり準備をして、練習をして、もっといい結果がでるように頑張ろうと思いました。
HWSM 練習は以前と変わらず毎週日曜日に?
鎌田 そうですね。ただ前みたいにひたすら乗るという感じではなくて、マシンのセッティングに費やした時間の方が圧倒的に多かったですね。ブイを曲がるときにもっとこうしたいとか考えながら乗って、戻ったらその要望を伝えて、セッティングしてもらってというのをひたすら繰り返していたら、あっという間に次のレースがきてしまって。
もっとたくさん乗りたいという気持ちを頑張って抑えた1年でした(笑)。
HWSM GPマシンに乗り換えたことで金銭的な負担も増えているのでは?
鎌田 ボス(チームオーナー)の負担は間違いなく増えています(笑)。最大限のサポートをしてもらっていますし、マシンをより良くするための提案もボスやメカニックやチームのみんながしてくれるので、「ありがとうございまーす!! がんばりまーす!! 」という気持ちを常に持って走っています。
万全の体制で臨んだワールドカップ
絶好の滑り出しと思いきや……
HWSM 12月にはアジアチャンピオンシップの最終戦であり、シーズンの締めくくりでもあるタイでのワールドカップに参戦されました。2023年は気を失って倒れるほど過酷な状況でしたが、2024年は万全の体制で臨めましたか?
鎌田 ボスもメカニックもチーム員も母もみんな現地まで来てくれたので、この3年間で一番の体制でした。自分がレースで勝てるようにみんなが頑張ってくれたので、やる気は2000%でしたね(笑)。
HWSM 自分のレースにしっかり集中できる環境だったと。
鎌田 レースが始まってしまえばさっきも言ったように全力なので変わらないんですけど、そこに至るまでの日々の生活が今までで一番楽しかったですし、充実した毎日を過ごせたので今までよりも落ち着いてレースに挑めました。
HWSM レース以外の日常を楽しむ余裕があったのですね。
鎌田 今までも「遊びに行ってみたい!!」とは思っていたんですけど、体が痛いからマッサージ屋に、みたいな感じで(笑)。コーヒーが大好きなので買いに行きたかったんですけど、面倒くさかったりそれどころではなかったり。それが「ちょっと買いに行ってみよ」っていうマインドになっていて。
みんなのおかげでレースが始まるまでリラックスして過ごせました。
HWSM それが功を奏したのか、MOTO 1は1位でチェッカーを受けました。しかし最終的な順位は8位でした。
鎌田 着順は1位だったのに、走り終わって8位になったときの衝撃といったら……。最後の1周でトップを走っていたんですけど、ブイをひとつ飛ばしてしまいそうになって。
ギリギリで気づいたんですけど間に合わなくて。回り直そうと戻ってしまったのが危険走行と見なされて1周減。さらにミスブイで1周減だったので、イレイザーブイを回っても1周分しか解消されずにマイナス1ラップで順位も8位に降格でした。
HWSM 悔しい結果ですね。
鎌田 悔しいというより……、反省してます(涙)。コースを戻らなければミスブイの1周減だけで危険走行にはならなかったので、イレイザーブイを回って解消すればそのまま1位だったんですよ。ルールをしっかり把握していなかった自分のミスなんですけど……。みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もう二度と……やらないと……反省……しました……(超小声)。
HWSM ポイントを大きく落としてしまいましたが、MOTO 2では見事1位で挽回しました。
鎌田 2023年は最初が1位でそのあとが振るわなかったんですけど、最終的には優勝できたので「残りの3レース全部1位ならいける!! 取ってやるぞ!!」という気持ちで。
HWSM MOTO 1も着順は1位だったので、戦える手応えは感じていたのでは?
鎌田 タイのレースは直前でProForce 3.0で走れることが決まったんですけど、一度もレースで走っていないことがすごく不安で。勝ちたいから頑張ります、という前向きなマインドにはなれなくて。4レースあるから最初のレースでのちに活かせることを全部持って帰ってこないと、という思いでMOTO 1は走っていました。
HWSM それでも結果としてはトップチェッカーでした。
鎌田 1位で帰ってきたのは自分でもビックリだったんですけど、たしかにレース前までにやれることはみんなが全力でやってくれたんです。ボスもメカニックもチーム員もみんなで寝ずに作業をしてくれたので。そのおかげでマシンへの適応が早かったのも結果に結びついた要因かもしれません。
チャンピオンを狙える土台は間違いなくできていたので、もはや言い逃れはできないなと(笑)。あとは自分次第じゃんって。
HWSM そしてMOTO 3が2位で、チャンピオンを狙える位置でMOTO 4に挑みました。
鎌田 自分を含む上位3人のポイントが近くて、MOTO 4を1番いい着順でゴールしたひとがチャンピオンになる状況でした。
HWSM 意識しましたか?
鎌田 ちょっと出遅れても諦めないで頑張れば上位までいけるってそれまでのレースでわかっていたので、焦らず気負わずやりきろうと思いました。
HWSM そして結果は……?
鎌田 そこまで甘くなかったですね(笑)。4位でチャンピオンにはなれなかったです。
HWSM あと一歩届かなかった要因はどこにあったと?
鎌田 1日目で「こんなにキツくなることある!!?」っていうぐらい体がバキバキになってしまって。変に力が入っていたんだと思うんですけど、2日目は階段が下りられないぐらいの筋肉痛で。それも原因だったのかもしれません。力を抜く方法を練習しなくちゃと思いました(笑)。
あとはMOTO 4の水面が一番ベタだったので、なかなか追い上げるチャンスがなくて。「お願いだから波でてくれー!!」って祈ってたんですけど、信じられないぐらいベタベタで(笑)。結果的にはMOTO 4が反省点がもっとも多いレースでした。
HWSM 惜しくも世界チャンピオンには届きませんでしたが、総合3位で見事に初代アジアチャンピオンに輝きました。
鎌田 そっちはなんとか食い込めました(笑)。トップ3が同点で、そのときは選考基準がわからなかったから誰がチャンピオンかわかっていなかったんですよ。チーム員と点数を計算しながら待っていたら、表彰式で自分の名前が呼ばれてみんなで大騒ぎしました(笑)。
HWSM 名前が呼ばれたときはどんな気持ちでしたか?
鎌田 うれしい気持ちでいっぱいでしたし、チームのみんなが頑張ってくれたのでなんとか一個は結果を持って帰れたのがよかったです。
前向きなマインドを手に入れ
2025年は飛躍の年に
HWSM 2024年は「先に繋がる結果を残したい」と目標を掲げていましたが、達成できましたか?
鎌田 達成できました!! 新しいクラスとか新しいマシンに挑戦するのってレベル1からのスタートだと思うんですけど、次に繋がる課題を常に見つけながら、色々なことを考えながら走った1年だったので、それを繰り返したことで先に繋がるものを得られたと思います。
レースに対して「やってやる!!」っていう気持ちが今までで一番作れたのも次に繋がるかなと。NOTネガティブでいけるんじゃないかと思ってます(笑)。次はレベル2ですよ。
HWSM 2025年の目標は?
鎌田 アジアチャンピオンと世界チャンピオンを取りにいきます!2024年は挑戦の年でしたけど、2025年はチームに結果を残せる年にしたいです。みんなに衝撃を与えられるような、よくやった!って言われるような結果を毎レース残せるように頑張ります!
WGP#1 WATERJET WORLD CUP
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