2026年で発売40周年を迎えたヤマハ ウェーブランナーですが、その誕生はおよそ半世紀前まで遡ります。
40年の歴史がはじまる前日譚。
その物語を紐解いてみましょう。
手軽に安全に楽しめる
水上のノリモノを創りたい
ヤマハが最初のウェーブランナー(当時の日本での呼称はマリンジェット)を世に送り出したのは、今から40年前の1986年。
シッティングタイプのタンデムモデル『MJ-500T』とともに世界のマリン市場へ打って出たわけですが、産声を上げるまでには様々な紆余曲折がありました。
◇ ◇ ◇
すべてのはじまりは、発売から16年前の1970年。
この当時、海外から持ち込まれた水上を走るノリモノが水辺で散見されましたが、それらはごく一部のひとが楽しむ嗜好品のような存在でした。
それを間近で見ていたヤマハの開発者は「誰もがもっと手軽に、安全に楽しめるノリモノを創れないだろうか」と考え、それがマリンジェットの開発を志すきっかけに。
熱が冷めやらぬうちに開発許可を申請しましたが、はじめは社内の同意が得られなかったそうです。
そうこうしているうちに海外では小型の水上を走るノリモノが盛んに開発されるようになり、日本国内でもマリンレジャーを安心して楽しむための法整備が進んでいきましたが、ウェーブランナーの開発にはいまだ着手できず。
理解が得られぬまま悶々とした心持ちで10年以上の月日が経過しました。
温め続けたアイデアをもとに
いよいよ開発がスタート
転機となったのは、およそ13年後の1983年ごろ。
ヤマハの経営にブレーキが掛かり、「競争力のある新規事業商品が必要」となったことで、ようやくウェーブランナーの開発にGOサインが出ます。
コンセプトは10数年前と変わらず「誰でも水辺で手軽に乗れるノリモノ」であり、着想から開発スタートまでの期間で開発者の頭には無数のアイデアが溢れていました。
まずは100万円の開発予算を捻出してもらい、中古のボード付きジェット推進機を3台購入。
それを元に研究開発がいよいよスタートとなりました。
目指すのは手軽に乗れる小型軽量化と安定性にくわえ、シャープな旋回を実現する運動性。
トライ&エラーを繰り返しながら数々のプロトタイプをテストした結果、ひとつの形となったのが『パワースキー』でした。
ボード形状の船体にヤマハ製の25馬力エンジンを搭載したモデルで、試作機のなかでもすぐれた運動性能を発揮。
テストをしていた浜名湖ではそれなりに走るようになり、前進の兆しが見えてきました。
そして1984年9月には「パワースキーをプレゼンテーションしてほしい」とアメリカから声が掛かり、現地に赴きお披露目となりましたが、結果は納得のいくものではありませんでした。
小型軽量(当時の重量は65kg)を目指して開発していたことが裏目となり、100kgを超える大柄なアメリカ人にとってパワースキーはあまりにも小さかった。
乗り込みでギブアップするひとが大半で、かろうじて乗れたとしても25馬力のエンジンでは満足に走れなかったそうです。
しかしこの結果が、ウェーブランナーの開発をより加速させていくこととなります。
ウェーブランナー誕生の瞬間
アメリカでのプレゼンから戻り、さっそく検討されたのが「1人で乗っても楽しく、2人でも乗れるタンデムモデル」でした。
1985年2月には社内でも正式なプロジェクトとして認められ、まず手を打ったのはエンジンとジェット推進機の量産開発。
タンデムモデルをスムーズに走らせる50馬力前後のエンジンが理想でしたが、当時の担当者からは「30馬力」との回答。
これでは運動性能の確保が難しかったため、艇体開発でそれを補うことに。
そこで採用されたのがシャローVの船型にダブルチャインを設けた船体でした。
この艇体が安定性と運動性の両立を果たすこととなり、プロジェクト発足からわずか5か月後の1985年7月にはこの試作機を携え、2度目のプレゼンテーションに向けて渡米。
試乗するのは前回と同じ二輪やスノーモービルのライダーでしたが、結果は大成功でした。
興奮冷めやらぬ様子で親指を立てて「エクセレント!!」と繰り返し、「自分がほしかった理想的なノリモノ」という最大限の賛辞まで飛び出るほど。
これにより生産前提のプロジェクトへと前進し、名称はWaveRunner(ウェーブランナー)に決定。
1986年11月にはタンデムモデルの『MJ-500T』、1987年1月にはシングルモデルの『MJ-500S』が世に放たれ、ウェーブランナーの長い歴史はここからスタートしました。