親子で同じ趣味を持つことに、憧れを持つひとも少なくありません。
コミュニケーションのきっかけになったり、子どもが大きくなっても一緒の時間を過ごせたり、趣味が潤滑油となって関係が上手くいくこともあります。
近年は水上でも、子どもが免許を取得して親と一緒に楽しむケースが増えています。
ここでは水上バイクがつなぐ様々な親子の物語を、少しだけ紐解いていきましょう。
速く走るのが怖かった?
三冠女王と水上バイクの馴れ初め

HWSM 真珠さんが最初に水上バイクに乗ったのは?
真珠(子) たぶん小学校の高学年ぐらいだったと思います。
直樹(父) 俺が48歳ぐらいで始めたから、10年以上前かな。
HWSM お父さんが水上バイクに乗りはじめたきっかけは?
直樹(父) 群馬県のU.M.E.というショップの前を通りかかる機会が何度かあって、前々から「ジェット楽しそうだな」とは思っていたんです。ちょうどそのころは家族で一緒に何かをすることも無くなっていたので、この機会にみんなで遊ぶのもいいかなと思って。
HWSM 最初に所有した水上バイクは覚えていますか?
直樹(父) 水上バイクの免許を取ってすぐに、カワサキの800 SX-RとULTRA 300を買いました。
HWSM 最初からランナバウトとスタンドアップを2艇所有されていたのですね。
直樹(父) そうですね。特に何も考えてはいなかったんだけど、この地域のひとたちは「ジェットを引っ張る」のがステータスみたいなところもあって。2艇積みのトレーラーなんかを牽引している姿もよく見かけていて、自分も自然とそのスタイルにしていました。
HWSM 水上バイクではどのような遊び方を?
直樹(父) BBQしながら家族でワイワイ乗るっていう、よくあるレジャーの遊び方を最初はしていました。それこそ毎週日曜日はかならず乗りに行ってました。
HWSM 真珠さん以外のご家族も一緒でしたか?
真珠(子) みんな一緒のことが多かったですね。
直樹(父) お姉ちゃんは毎週かならずってわけではなかったかな。そのころはもう他で遊んでたから。
真珠(子) 私が友だちを連れて行くことが多かったです。お父さんと、私と、友だちの3人で(笑)。そこにお母さんとお姉ちゃんがたまに来るみたいな。だから私はけっこう乗りに行ってましたね。家から利根川が近かったので、夏の定番レジャーみたいな感覚でした。
HWSM その当時の水上バイクの印象は?
真珠(子) 私は速く走るのがあまり好きではなかったんですけど、お父さんはけっこうなスピード狂だったのでいつも怖い思いをしていました(笑)。今ならわかりますけど、私はうしろに乗ってスピードを出されるのがキライみたいです。今、自分で操船するならいくらでも出せるんですけどね。
直樹(父) お姉ちゃんとふたりでうしろに乗せると、この子だけ泣いてました。お姉ちゃんはキャーキャー楽しそうにしていたけど。
HWSM あまり良い印象ではなさそうですね。
真珠(子) 海でのツーリングに誘ってもらったときも、波で跳んだり跳ねたりして本当にダメでしたね。ゆっくり走っている分には楽しめたんですけど。
HWSM その感じだと自分で操船したいとも思わなかったのでは。
真珠(子) うしろで怖い思いをしていたので、自分が操船してまで楽しみたいっていう気持ちはあまりなかったですね。
HWSM なぜ乗りに行っていたのかギモンに思うレベルですが。
真珠(子) 根本的には水上バイク自体は好きだったんだと思います。それこそ水の上にプカプカ浮いているのは大好きでした。「50キロも出してほしくない!アイドリングが最高!」っていう感じで(笑)。
父のレース観戦で訪れた
タイでの運命的な出会い

HWSM そんな真珠さんを尻目に、お父さんは水上バイクとの付き合い方が変わっていったとか。
直樹(父) ブイを回って練習しているひとたちがたくさんいる場所(利根川)で遊んでいたので、あるとき「一緒に走ってみる?」と声を掛けてもらって。
それで火がついちゃって、そこからはブイ回りにハマっちゃいました。こんなに楽しいアソビがあるのかって。
元々スポーツをやっていて、体を動かすことも好きだったんですよ。それでブイ回りを始めた翌年にはタイのキングスカップ(現ワールドカップ)に誘ってもらって。
HWSM 2年目で世界大会に? 日本でのレース経験はあったのでしょうか?
直樹(父) 当時はU.M.E.がレジャーのひとたちもキングスカップに連れて行ってくれていて、その流れで。記念というか、思い出作りというか。
日本では耐久レースに1回だけ出たぐらいで、ほぼぶっつけ本番で。スタートの練習もしたことがなかったぐらい。
HWSM ちなみにそのときの結果はいかがでしたか?
直樹(父) 結果はまあ、いきなりホールショットで。それで調子に乗っちゃったんでしょうね。次のヒートのバックストレートで、全開のまま飛んじゃって、肋骨が3本折れました。
はじめてのレースで、はじめての海外で、はじめての骨折。それで終わりです。
HWSM レースに出場したのはその一度だけですか?
直樹(父) リベンジしようと思って、次の年にもう一度タイに行きました。スゴい悩んだんですよ。
年齢のこともあるし、経験もなかったので。あとは生半可な気持ちではできないことを身をもって実感したことで、恐怖心の方が強くなっちゃって。
悩みに悩んだ末、やっぱりこのまま終わりたくないっていう思いが勝ったので出ることにしました。
HWSM まずは国内に出ることを考えなかったのでしょうか?
直樹(父) 砂盃さん(砂盃肇選手)とか日本トップのレーサーが練習しているのを間近で見ていて、「これは無理だな」と痛感したので。
年に1回だけなら頑張れると思って、タイのレースだけ出ることにしました。だから2回目は事前にちゃんとトレーニングもして、練習もしてから。
真珠(子) その2回目のタイには私も一緒に連れて行ってもらいました。たぶん13歳のときだったと思います。
HWSM 真珠さんはそのときのことを覚えていますか?
真珠(子) お父さんが出るような大会なので大人のレースだと思っていたんですけど、自分と同じぐらいの身長の子が走っていてビックリしました。
なかでも特に惹かれた2人のレーサーがいて、男の子と女の子だったんですけど「この子たちと一緒に走りたい」と急に思い立ったんです。
それまでレースなんて見たこともないし、興味もなかったんですけど。
直樹(父) 人と競うのが好きなタイプではないんですよ。鈍くさいというか。だからレースなんて向いてないだろうなと。
真珠(子) ゆったりした性格なので、個人競技は無理でした。
直樹(父) お姉ちゃんの方がスポーツできたので。この子はあんまりそういう感じではなかった。ダンスはやってましたけどね。
真珠(子) チームとしてみんなでワイワイやるのが好きで。
だから水上バイクのレースも本来なら刺さらないはずなんですけど、単純にその女の子と男の子に憧れたんだと思います。
ふたりとも同年代で、一緒に走ってみたいって。
HWSM スピードが怖いと思っていた少女がよくレースに出たいと思いましたね。
真珠(子) 水上バイクのレースという競技そのものではなく、そのふたりに憧れていたんだと思います。
もしふたりがウィンタースポーツの競技をやっていたら、同じことを始めていたと思います。
レース人生の幕開けと思いきや
「ジェットなんて一生乗らない!」
HWSM その後16歳で免許を取ってすぐレースに?
真珠(子) タイに行ったのが13歳だったので、日本で免許を取れるまでに3年間あったわけですよ。
それでいざ16歳になって免許こそ取ったものの、レースに出たい気持ちはすっかり冷めてしまって。
ちょうど高校に通い始めた時期で環境も変わりましたし、ダンスはずっと好きで続けていて、部活ではチアダンスっていうまた違う分野に挑戦していて。土日はずっとダンスみたいな生活でした。
免許を取るまでも毎週日曜日は「ジェットの日」と決まっていて、お父さんがうしろに乗せてくれたりしていたんですけど、高校生活が始まってからはあまり行かなくなっちゃって。
HWSM そのような心境でも免許は取ったのですね。
真珠(子) それは決めていたっていうのもあって。
そこから「さあレースに出よう」ということで少しは乗ったりしたんですけど、私は誕生日が12月なのでレースに出られるのは免許を取った翌シーズンになるんですよ。
冬のあいだにみんな練習しているんですけど、私はモチベーションもない状態だったので、寒いからなおさら行きたくなくて。
お父さんがけっこうスパルタで厳しかったのもあって、あまり楽しくなくなっちゃいました。
HWSM 気持ちがどんどん冷めてしまったと。
真珠(子) その当時の利根川って周りに同年代の子がいなかったんですよ。
年上の方しかいなくて、しかもみんな本気でレースをやっている方々なので、10代の女子からしたら「怖い」っていう印象を持ってしまって。
ダンスは同年代の仲の良い子もいるから楽しくて、「もうレースはやらない!! ジェットも一生乗らない!!」って啖呵を切って(笑)。
お父さんと大喧嘩して、高校生のあいだはレースに出ないどころか水上バイクにもほとんど乗りませんでした。
HWSM その状態からふたたびレースに出ようと思った理由は?
真珠(子) 18歳で高校を卒業して大学に進学したんですけど、1年生の夏に交通事故で2か月ぐらい休学することになったんです。
それでケガの治療をしているときに、たまたま同室になったおばあさんから「これはあなたに与えられた試練なんだよ。この期間にいろいろ考えてみな」って言われたんです。
相談していたわけでもなく、知り合いでもなく、たまたまその場に居合わせただけのひとだったんですけど、その言葉が自分のなかで妙に引っかかって。
HWSM それがきっかけで、一度立ち止まって考えてみたと。
真珠(子) 自分が何をしたいのかを真剣に考えてみたら、水上バイクのレースをやらなかったことが自分のなかで心残りになっていることに気づきました。
大学はもうやめたいと思っていたので、それも含めてお父さんに相談したら「大学をやめるならレースをやりなさい」と言われて。
HWSM お父さんはなぜ真珠さんにレースを勧めたのですか?
直樹(父) 俺もレースの経験がたくさんあるわけではないし、娘も免許を取ってからほとんど乗っていなかったけど、乗り方とかを見ていたら「この子カッコいいじゃん」って思わされちゃって。
センスを感じたというか、もしかしたら化けるかもしれないと思ったんだよね。
それで大学をやめてその先のことも決まっていなかったみたいだから、「レースをやるなら応援してやる」って。
真珠(子) 海外に行きたい、留学したいっていう気持ちがずっとあったので、「レースなら海外にも行けるぞ」って言われたのも大きかったですね(笑)。
それで18歳の秋には大学をやめて、その冬にみっちり練習して19歳でレースデビューしました。
デビュー2戦目で初優勝
2年目で海外レースにも挑戦

HWSM いよいよレースに出るわけですが、お母さんからは止められませんでしたか?
真珠(子) 危ないからって止められましたね。
あと私は小さいころから好奇心旺盛だけど続かないタイプで、習い事もいろいろやらせてもらったんですけどすぐにやめてしまうことも多くて。
だから水上バイクのレースも「中途半端にやるなら絶対やらない方がいいよ」って言われましたね。
HWSM そして2019年のJJSFでレースデビューされました。
真珠(子) たしかそのときは女性ライダーがすごく少なくて、他のクラスの男性との混走だったと思います。
はじめてのレースで混走かぁ、っていうのもあって出るか迷ったんですけど、とりあえず1回経験しておこうと思って。
直樹(父) 周回数が8周とかで、たぶん走りきれないだろうと思っていたんだけど、周回遅れにもならずに帰ってきましたね。
HWSM その次のレースは2020年のJJSBA開幕戦でした。
真珠(子) そこでなぜか1位が取れて。運が良かったんですけど。
HWSM そのときのことを覚えていますか?
真珠(子) あまり記憶はないんですけど、楽しかったことだけは覚えています。
最初のレースは走りきるのに精一杯で勝負にもならなかったんですけど、このレースはなんか楽しくて。
そのうえで勝てたことはスゴくうれしかったですし、同時にもっと頑張ろうって思うようになりました。
HWSM その年は年間ランキングも3位で、デビューイヤーとしては大健闘でした。
真珠(子) シーズン中はただただ楽しいだけだったんですけど、最終戦の年間表彰のときに急に悔しくなってきて(笑)。「来年は絶対1番になる」っていう気持ちになっていました。
それで2021年からは急に目覚めたというか。
HWSM 2021年はシリーズ参戦2年目で年間チャンピオンになり、その年は早くもタイのワールドカップに出場されています。レース歴2年目と早めに海外デビューしたのは何か理由が?
直樹(父) 海外に行きたかったから、だよな?(笑)
真珠(子) タイは私がレースを始めるきっかけとなった場所でもありますし、国内でチャンピオンが取れたこともあって、一回チャレンジしてみようと思って出てみました。
HWSM その年はいきなり3位表彰でした。この結果はお父さんからすると予想どおりでしたか?
直樹(父) 表彰台に上がれればいいかな(5位以内)と思っていたので、3番が取れたなら世界で通用するんじゃないかと。
目指すところはひとつだけだなって気持ちになっていました。
HWSM 憧れの舞台で走った真珠さんとしては、手応えを感じていましたか?
真珠(子) 1走目である程度いける感触はあったんですけど、エストニアのジャスミン(ヤスミーン・ユプラウス選手)が圧倒的に強くて。
それなら2位にはなろうと思って、実際いけそうな位置にいたんですけど、結果はマシントラブルとかもあって3位でした。
だから素直には喜べなかったというか。正直なところあまりうれしくはなかったです(笑)。
ジャスミンともっと競り合うようなレースもしたかったですし。
HWSM 人と競うことがそれほど好きではないと言っていましたが、レースに出ると自然に競争心が芽生えるものなのでしょうか?
直樹(父) 年を追うごとに性格まで変わって……(笑)。
昔は少しキツく言えばすぐに泣いちゃうような子だったけど、今は俺の言うことなんてまったく聞かない。俺の言うことはすべてNO。
真珠(子) すべてではないよ(笑)。
HWSM レースを通して鍛えられたということですね。
真珠(子) でも小さいときから負けず嫌いな性格ではありました。周りと勝負してどうこうではなくて、こうと決めたら動かないみたいな。
ナゾのこだわりがあったり。
直樹(父) 小さいころから頑固ではあったかな。着る服にしても、お気に入りのものしか着ないとか。
真珠(子) レースで本性がでたのかもしれませんね(笑)。アドレナリンが出まくっているとかもあるのかな。レース中は本来の自分に戻れるみたいな。
ヨガがレースにもたらした
メンタルの安定

HWSM 2023年からは海外でのレースがさらに増えましたが、海外レースでよくあるトラブルは?
真珠(子) マシントラブルは本当に付き物というか。海外に行くとみんな苦しめられています。
今は「そういうもの」とある程度の覚悟はできていますけど。
直樹(父) マシントラブルもそうだし、ケガとか、ぶつけられたとか、自分ではどうにもできないトラブルでチャンピオンを逃したことも多々あった。
真珠(子) 2023年にフランスの大会に出場したときもポイントは総合1位だったんですけど、アウェーの洗礼なのかインスペクションで最後に落とされちゃって。
あと一歩のところでチャンピオンを逃した経験もけっこうありました。
直樹(父) 涙の表彰台だったな。
真珠(子) 泣いてないけどね。海外に行くと言葉も完璧には通じないですし、みんなが言ってたアウェーってこういうことかって。
HWSM レース以外で気をつけていることはありますか?
真珠(子) やっぱり体が資本なので、体調管理は徹底して日本にいる時以上に気をつけています。
あとは言葉の壁だったり人間関係の難しさで日本より見えないストレスを感じる場面が多くて、それが疲れやメンタル面の不調としてレースに影響するんです。
その対策としてヨガで心を整えたり、メンタルケアにも気を遣っています。
HWSM 海外では食事にも気をつけていますか?
真珠(子) 生ものとかリスクの高そうなものは控えます。
あとオフシーズンは食べ物のことばかり考えているぐらい食べることが大好きなんですけど、レース前というかシーズン中はさすがに控えています。
糖質制限をしたり、レース前は特に徹底してやっていますね。
だから日本でもそうなんですけど、レースが終わったら1度だけ大好きなラーメンを食べに行って、そこでリフレッシュしてまた頑張ろうって。
HWSM 切り替えていると。
真珠(子) 好きなものを食べることもそうですし、あとは意識的にレースのことを考えないようにして、リセットするように心がけています。
1年の3分の2ぐらいはレースシーズンなので、そのあいだずっとモチベーションを高く保って集中し続けることはちょっと難しいですから。
HWSM ヨガで心を整える、とのことでしたが、真珠さんはお仕事でもヨガのインストラクターをされているそうですね。
真珠(子) 2021年にRYT200(全米ヨガアライアンス認定の国際的なインストラクター資格)というライセンスを取って、今はパーソナルのインストラクターをやっています。
HWSM メンタル以外にもヨガがレースに役立っていることはありますか?
真珠(子) 普段のトレーニングにもウェイトやランニングと合わせてヨガを取り入れています。
これはフィットネスに近い自重トレーニングを目的としたものですね。
直樹(父) そばで見ていると、ヨガを始めてからスタートが速くなった。集中できるようになったのか、ほとんどミスをすることがなくなった。
それは間違いなくヨガの効果だと思う。
HWSM 元々スタートが得意ではなかった?
真珠(子) はい、鈍くさいタイプなので(笑)。みんなより3歩ぐらい遅いんじゃないかっていうレベルで、昔の動画を見返してみるとスタート直後から1艇身以上も遅れていて。
こんなのでよくやっていたなって思うぐらい、スタートは本当にニガテでした。
HWSM それがヨガを始めたことで改善したと。
真珠(子) 圧倒的に集中力がつきました。それまでは「集中しないと」と意識することで焦って、それがミスに繋がっていたと思うんです。
でもヨガを始めて、瞑想であったりポーズひとつでも集中することを大切にしながら取り組んだことで、レースのスタートでも雑念が入らず自然と集中できるようになりました。
HWSM レース前のルーティンにもヨガを取り入れていますか?
真珠(子) そうですね。ケガ防止のためのストレッチ的な意味合いと、あとは呼吸を整えるためにやっています。
ガッツリ瞑想して、とかではないんですけど、感情を無にするというか、ニュートラルにするというか。
私はテンションが上がり過ぎても下がり過ぎてもダメなので、フラットに保つのにヨガは最適なんです。
HWSM 他にもレース前のルーティンとしてやっていることはありますか?
真珠(子) 音楽を聴いたり、あとはレース前にかならず歯を磨きます。それでスッキリして気持ちよく走れるんですよね(笑)。
憧れのレーサーは
同世代とレジェンドライダー
HWSM これまでのレース人生でもっとも影響を受けたひとは?
真珠(子) 男性のライダーなんですけど、PRO SKI GPクラスの海老原祥吾選手です。
私より1歳年上で、利根川では数少ない同世代としてずっと一緒に練習していたんですけど、私より先にレースデビューしてあっという間に結果を残していって。
雲の上の存在って言ったら大げさですけど、いつの間にかスゴいひとになっちゃったんだなって。
その当時は尊敬するのと同時にちょっと心細くなったというか。ちょっと難しい感情でした。
直樹(父) 幼馴染みたいなもんですよ。普段も仲が良いし、うちにも遊びに来るし。
真珠(子) 今でも一緒に走るとまったく歯が立たないですからね。話し方とか性格は穏やかでノンビリしているんですけど、芯の強い部分もあって。
スポーツマンとしての彼の生き様というかスタンスは私も影響を受けています。
【インタビュー】ジェットスポーツ界に芽吹いた若き才能|次世代レーサー海老原祥吾の「これまで」と「これから」
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直樹(父) あとはもうひとりいるじゃん、レジェンドが。
真珠(子) 利根川にはトップライダーのひとたちがたくさん練習していて、私もそこで混ぜてもらって練習していたんですけど、みんな真剣だしその当時は今よりも圧がスゴかったんです。
お父さんもレース関係の知り合いがいたわけでもなく、挨拶するのが精一杯みたいな状況のなかで、桜井さん(桜井直樹選手)がイチから親切にいろいろ教えてくれて。
何もできない小娘にも人一倍アドバイスをくれて、カッコいいなって憧れていました。
HWSM レーサーとしての真珠さんの強みを教えてください。
真珠(子) 負けず嫌いなところと、あとはポジティブな部分。
いい時ばかりではないので落ち込むこともあるし、良くなかったことに対して反省もしますけど、私はレースでミスをしても次に活かすための経験と考えるようにしています。
前向きに捉えていくことがプラスになると思っているので、引きずることはしないですね。
HWSM 逆に短所は?
真珠(子) ひとを頼ったり思っていることを伝えるのがニガテです。
レースで走るのは私ひとりですけど、自分でマシンを作れるわけでもないですし、チームの支えがあるから活動できると思うんです。
それはわかっているんですけど、何かお願いするのをためらってしまったり、コミュニケーションが取れなくて勘違いさせてしまったり。
チームで戦ううえではこのままじゃダメですね。
直樹(父) とにかくマイペースなんですよ。日常生活ではたぶん何をやっても一番遅い。
レースでは1番になれるけど、私生活はホントにダメ。練習も一番最後に出て行くから。
真珠(子) ここだっていう時に練習しないとダメなんですよ。
練習に身が入らない状態でボーッとしながら走っているときがあって、それを桜井さんに見透かされたのか、「ケガするから走らないほうがいい」って言われちゃって。
そんな状態で乗っていてもガソリンのムダですし、それからは気持ちを切り替えてから乗るようにしていて。
今日は走れないと思ったら、その日は乗らないこともあります。
順風満帆なレースキャリアに
突然の暗雲

HWSM 海外のレーサーで仲が良い選手は?
真珠(子) 特別このひとと仲が良い、っていうのはないんですけど、海外のレースで感じたのはみんなレース以外の部分ではフランクですよね。
レースでは勝負なのできっちり戦うんですけど、終わってしまえば自分が勝っても負けても「戦ってくれてありがとう」って言ってくれて。
そういうスポーツマンシップは海外のレーサーからもたくさん学びました。
HWSM 称え合えるのは素晴らしい関係ですね。
真珠(子) 私がはじめてワールドカップに出たときに同じクラスで優勝したジャスミンも、走り終わったらハグしてくれて、気さくに話してくれたんです。
自分が1位だったのに驕るようなこともなく、私のことも称えてくれて。
彼女とは同い年なんですけど、そういうことができるのはカッコいいなって思ったし、また一緒に走りたいと思えました。
HWSM デビュー2年目の2021年に続き2022年もシリーズチャンピオンを獲得して順調なキャリアでしたが、2023年から勝てない時期が続きました。スランプに陥った原因は?
真珠(子) 内容の良くないレースが続いていたのと、それまで勝てていたことで順位の数字に追われていたというか、結果ばかりを追うようになってしまってレースそのものが楽しくなくなっていた時期でした。
レースに出る意味とか目標も見失っていて、出場してはいたものの「早く終わればいいな」って思うような状態で。
HWSM なぜそのような状態に?
真珠(子) 私がマシンに対応できなかったのも理由のひとつです。
この年はダブルエントリーしていて2種類のマシンに乗っていたんですけど、私は器用ではないのでどちらも乗りこなすのが厳しくて。
結果的に中途半端になってしまって、そこから自分の走りも見失ってしまって。
HWSM レースをやめようと考えたこともあったのでは?
真珠(子) この時期は本気で考えていました。年末(12月)にタイのワールドカップがあるから、それが終わったらやめようと。
HWSM それでも続けたのは何か理由が?
真珠(子) ワールドカップで走ったら、純粋に楽しんでいた初心を思い出したんです。
あの場所に行きたくて、あの場所で走りたくてレースを始めたんだって。もちろんその年も勝てなかったんですけど、それがモチベーションにもなりました。
ここで勝つためにもう1年がんばろうって。
楽しむことと諦めないこと
マインドチェンジが好調の要因に

HWSM 翌年の2024年は、日本で初開催されたワールドシリーズ(国内シリーズの3戦目と併催)で久しぶりの優勝を手にしました。
真珠(子) 実は心機一転がんばろうって決めたシーズンの開幕直前に、けっこう重めの捻挫をしまして。
本調子ではないまま1戦目と2戦目を走ったので、もちろん結果はダメで。
せっかく上がっていたモチベーションも落ち気味になっていたんですけど、練習もそれほどできないし、ヨガのポーズもできない状況だったから、瞑想の時間を増やしてちょっと立ち止まってみたんです。
そこで「こんな状態でも続けようとしているってことは、やっぱりレースが好きなのでは」って考えられるようになって。
気持ちがラクになったところでワールドシリーズを走ったら、結果につながりました。
直樹(父) 2024年はこのひと、運もすごかった。
真珠(子) 私のレース内容はそれほど良くなかったんですけど、周りのミスとかもあって優勝できた感じでした。
直樹(父) 国内の最終戦も同じような感じでチャンピオンに。
真珠(子) どちらのレースも純粋に楽しめていたし、諦めずに走ったから結果につながったんだと思います。
開幕前にケガをした時点でレースを休むことも選択肢にはあったけど、それでもやりたいって思えて、無理かもって思いながらも厳しい状況を少しだけ楽しみながら走り続けたら、最後に運が味方してくれて。
HWSM ここがレーサーとしてのひとつの転機になったのかもしれませんね。
真珠(子) レースは結果がすべてですけど、たとえ結果が出なくても楽しめているひとはホントにスゴいと思いますし、それまでの自分にはそこが足りなかったかなと思って。
せっかく走るんだったらやっぱり楽しんだ方がいいですし、楽しめていれば自然と笑顔になるから、応援してくれているひとたちもそっちの方がいいかなって。
楽しむことと諦めないことの大切さを改めて実感した年でした。
世界三冠の快挙を達成した
新女王が見据える未来像
HWSM 2025年は国内シリーズと海外三冠の快挙を達成されました。そして2026年は次の段階へ進むとお話しされていましたが、何歳ぐらいまでレースを続けようと考えていますか?
真珠(子) 以前は何歳までにやり切ってやめようとか考えていた時期もあったんですけど、今は特に考えていないですね。
自分がチャレンジしたいと思える限りは続けようと思っています。
「三冠女王」誕生の舞台裏|世界チャンピオン・金子真珠インタビュー
↑三冠達成の舞台裏はこちらの記事へ
HWSM 結婚・出産という人生の大きなターニングポイントがこの先に訪れたときは?
真珠(子) 現時点ではなんとも言えないですけど(笑)。
もし子どもが生まれたら、そのタイミングでレースはきっぱりやめると思います。
そのときになったら「やっぱり続けたい」となっているかもしれませんけど、今の私が答えるとそうなります。
やるからにはレースに100%の愛情を注ぎたいと思っているので、家族とか守るものができたら難しくなりますから。
HWSM お父さんはいつまで続けてほしいですか?
直樹(父) 俺が元気なうちは続けてほしいな。俺にとっても生きがいになってるから。
2024年からお姉ちゃんもレースをはじめたので、ふたりでがんばってほしい。
真珠(子) 私たちのレース以外にも趣味とか生きがいを見つけてほしいんですけどね(笑)。
直樹(父) そう言われるんだけど、60歳を超えてから新しい趣味なんて難しいよ。
真珠(子) 何歳からでも始められますよね。
直樹(父) 体が悪くて自分ではもう水上バイクには乗れないしね。
本当は乗りたいんですけど。だから生きているうちはふたりに夢を見させてもらえれば。
真珠(子) じゃあ、私のレース人生はまあまあ長いね(笑)。
HWSM いずれヘルメットを脱ぐときが来るかはわかりませんが、今後どのようなレーサーになりたいですか?
真珠(子) まだまだ歴も浅いですし、これからいろいろなことを経験していく必要がありますけど、女性のレース人口をもっと増やして業界そのものを盛り上げられる存在になりたいですね。
私たちの世代がもっと引っ張っていくべきだと思いますし、その手段のひとつとしてSNSでの発信も積極的にやる必要があると思います。
レーサーなので勝ちにこだわることはもちろん大切ですけど、自分の走りや活動を見てもらって、レースに興味を持ってくれるひとを増やしていくことも同じぐらい大事なことだと思うので。
そのためにこれから海外のいろいろな国でいろいろなことを経験して、それが日本にもフィードバックできたらいいなとは思っています。
取材協力
ジェットフィールド湘南
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