親子で同じ趣味を持つことに、憧れを抱くひとは少なくありません。
コミュニケーションのきっかけになったり、子どもが大きくなっても一緒の時間を過ごせたり、趣味が潤滑油となって関係が上手くいくこともきっとあるでしょう。
近年は水上バイクでも、子どもが免許を取得して親と一緒に楽しむケースが増えています。
ここでは水上バイクが繋ぐ様々な親子の物語を、少しだけ紐解いていきましょう。
水上バイクレースが繋ぐ親子の絆
HWSM 水上バイクに最初に乗ったのはいつごろですか?
千耶子(母) 23歳か24歳のころで、友だちに乗せてもらったら夢中になっちゃって。それからしばらくは乗るチャンスがなかったんですけど「自分で乗りたい」と思ってクルマと水上バイクの免許を同時に取って、それで550を買ったのが最初ですね。
HWSM なぜそこまでハマったのでしょう?
千耶子(母) それまでマリンスポーツとは無縁の生活をしていたので、「こんなに楽しい遊びがあるのか」って衝撃を受けて。それで550を買いに行ったんですけど、そのマリーナはたまたまレーサーがたくさんいるところで、乗り方を教えてもらえたんです。
半年経ったぐらいでレースも一度見に行ったんですけど、実際に走ってるところを見たら「勝てそう!! 出たい!!」ってなっちゃって。それでレースにも出ることになりました。
HWSM 乗りはじめて1年経たずにレースデビューですか。
千耶子(母) 7か月ぐらいのときにレースに出るための試験を受けて、2回目で合格してそのままデビューしたんですけど、最初はボロボロでした(笑)。
HWSM 昔は試験があったんですね。
千耶子(母) コースを走って既定タイムをクリアできないと不合格で、ライセンスがもらえませんでした。2回挑戦して合格できなければ次回のレースで再挑戦、という感じで。
HWSM それから何年ぐらいレースに出ていましたか?
千耶子(母) 5年ぐらいやりましたね。当時の一番下のクラスがリージョナルで、そこからNB、NAと昇格していったんですけど、1番上のクラスまで上がってある程度成績も残せたので「そろそろ結婚しなきゃ!! このままじゃヤバい!!」という感じでヤメました(笑)。
HWSM 六花(ろっか)さんが産まれたのはレースを引退したあと?
千耶子(母) 全然あとで、六花が産まれたときは水上バイクにも乗っていませんでした。レースをやめたときにキッパリ足を洗ったので。
HWSM 六花さんは一緒に乗るようになるまで、お母さんが水上バイクに乗っている姿を見たことが無かったんですね。
六花(娘) 私が今22歳なんですけど、高校3年生になるまで水上バイクの存在自体もほとんど知らなかったです。家にお母さんのトロフィーがありましたけど、あまり気にして見ていなかったので。
千耶子(母) レーサー時代の写真とかビデオは一応あったんですけど、たまに自分で見るぐらいだったので。免許もずっと更新していなかったですし、娘が水上バイクを知らなくて当たり前の生活を送ってました。
でもレースをやめたときから「いつか子どもが産まれたら一緒に乗りたい」というのが夢でしたね。
HWSM その夢が叶って今は六花さんも水上バイクに乗られていますが、どのようなきっかけでしたか?
六花(娘) お母さんが乗りたくなったから、です(笑)。私は高校3年生の夏まで部活で競泳をやっていたんですけど、引退した途端に「免許取ってきて」って言われて(笑)。
いったい何の免許? クルマ? っていうレベルだったんですけど、どうやら水上バイク免許のことだったみたいで。まあお母さんが言うならと思って、10月ぐらいにエムジーマリーンさんで免許を取りました。
HWSM それからすぐに乗り始めましたか?
六花(娘) ホントは免許を取ったらそれで終わりだと思っていたんですよ(笑)。乗るつもりなんて全然なかったんですけど、ナゼか水上バイクを買う話しになっていて。
私としてはバナナボートを引くようなランナバウトを想像していたんですけど、いざエムジーマリーンさんに買いに行ったら、お母さんがほしいって言うのが見たこともないノリモノで。1人乗りの800SX-Rだったんですけど、それを免許交付と同時に買って、最初は月に1回ぐらい乗りに来ていました。
千耶子(母) 私は毎週乗りたかったんですけど、まあ付き合ってくれなくて。
六花(娘) 10月だったのでもう寒いじゃないですか。着るものとかもあまりわかってなかったので、とにかく寒かったんですよ。しかもせっかくの日曜日だから休みたくて。高校生のときは日曜日も部活で休めなかったから、ゆっくりしたかったんです(笑)。
だから月に1回乗りに来たときも「せっかくの休日が潰されたー!!」って感じで乗り気ではなかったです。
HWSM 最初は乗るのも楽しくなかった?
六花(娘) はじめて乗りに来たときにお母さんは普通に立って乗れてたので「スゴイ、楽しそう」と思って見てたんですけど、いざ自分が乗ってみたら立てないし、座って乗っても水が掛かるじゃないですか。寒いし、怖いし、全然楽しくなくて。それで「もうあんまり行きたくないなぁ」って。
千耶子(母)「頼むからお母さんに付き合って!! お母さんのストレス解消だから、お願い!!」みたいな感じでなんとかお願いして乗りに来ていました。
HWSM 千耶子さんは水上バイクから離れてかなりの時間が経っていたと思いますが、再燃したのは何か理由が?
千耶子(母) ご近所さんが800SX-Rを見えるところに置いていて、それを見ちゃったらもう……(笑)。仲良くなったので「今度ちょっとだけ乗せてね」なんて話しをしていたんですけど、そうなったら乗りたい気持ちがどんどん膨らんで。
娘も免許が取れる歳になったし「夢が叶うかも!!」って火が付いたら、あとは失効していた自分の免許を再交付して、買えそうな800 SX-Rを探して、娘に有無を言わさず免許を取らせて、さあ乗りに行くぞ!! という感じです(笑)。
HWSM そんなお母さんに対して六花さんは全然乗り気ではなかったようですが、レースに出るようになったのはいつからですか?
六花(娘) 2019年のM-1(エムジーマリーン主催のスラロームイベント)第1戦が最初です。「大会があるから出てください」ってエムジーのスタッフさんから誘われて、なんかわからないんですけど出ちゃいました(笑)。
千耶子(母) 周りのみんなで「大丈夫、大丈夫だから!!」って強制的に出させた感じです(笑)。
六花(娘) まだ3回ぐらいしか乗ってなかったんですけど……。
千耶子(母) 果たしてあの子は立って乗れるのかしら? っていうレベルで。
六花(娘) ギリギリ立てたんですけど、乗るのが精一杯で。結果は550のひとより遅かったのでただの公開処刑ですし、エントリーもすごい多かったからひとがいっぱいでさらに恥ずかしくて。大人のひとばっかりだったので怖いのもあって、「やっぱり乗りたくない」って思ってました。
HWSM まだ水上バイクやレースが楽しくはならなかったわけですね。
六花(娘) 全然ならなかったです。1か月乗らないでバイトばっかりしたり。
千耶子(母) 毎週声を掛けても、やっぱり全然付き合ってくれなくて。ひとりでは上げ下ろしができないから「今日だけはなんとか!!」って言ってもダメで、何回かケンカしました。「今週は行けると思ってたのに!!」って(笑)。
六花(娘) 2~3か月に1回しか乗ってなかったですからね。
HWSM そんな乗り気じゃない六花さんが、水上バイクを楽しいと感じたきっかけは?
六花(娘) パンチレーシングっていうレースチームのみなさんと出会って、一緒に乗るようになってから「乗るの楽しいな」って思うようになりました。ちょうどその時期ぐらいから少しずつ乗れるようになってきたので、上達を感じられたのも楽しく思えた理由かもしれません。
千耶子(母) チームのひとたちが色々なマシンを持っていて、「コレ乗ってみな、アレ乗ってみな」って乗せてくれたのも楽しかったみたいです。
六花(娘) それからは週一で乗るようになったんですけど、2~3か月経ったぐらいでチームのボスにいきなり「耐久レース出るぞ」って言われて(笑)。まだチーム全員のことをそこまで知っているわけでもなくて、怖い大人が言ってるからイヤとも言えないので「は、はい……」みたいな感じで。
HWSM レースには自分のマシンで出ましたか?
六花(娘) その耐久レースが800SX-Rは出られなかったので、4ストのSX-Rを借りてみんなで練習してたんですけど、なぜか私だけ全然乗れなくて。固定ハンドルとノーマル2種類のマシンがあったんですけど、ノーマルの方はまともに走れない。800SX-Rはゆっくりですけど普通に乗れてたのに。
そんなこともあって固定ハンドルならそれなりに走れたので、そっちで出ることになりました。
千耶子(母) こんなに急成長するか、っていうぐらい固定ハンドルは乗れてましたね。
六花(娘) それでもチームでは一番遅かったんですけどね。
HWSM 自身2回目のレースはいかがでしたか?
六花(娘) まずは耐久レース前日のタイムアタックに出たんです。固定ハンドルマシンではじめてのレースだったんですけど、すっ転んでマシンが遠くの方まで流されたり、波もあったから走るだけでも精一杯で、まあボロボロですよね。
当然ビリだったんですけど、それでもナゼか楽しかったんです。
それで翌日の本番も楽しめるかと思ったら、固定ハンドルのマシンがトラブルで乗れなくなっちゃったんです。急遽ノーマルのSX-Rで練習走行を走ってみたんですけど、案の定立てないし、曲がれないし、波すごいし。ボロボロで「もう乗れないよぉ」って泣きながら帰ってきたんですけど、ここで出ないって選択肢はなかったので。
千耶子(母) 大泣きしてましたね。みんなで「座って走れば大丈夫だから!!」ってなだめるのが大変でした。
六花(娘) 乗れなくて悔しいとかじゃなくて、みんなに迷惑を掛けるのがイヤだったんです。上位も狙えるっていう話しも出ていたのに、固定ハンドルじゃなきゃ自分がものすごい足を引っ張りますから。
千耶子(母) でも走ってみたら速かったよね(笑)。
六花(娘) 本番に強いのかな(笑)。直線は少し走ったら立って乗れるようになってきて、スラロームはランナバウトのつもりで座って曲がったりしながら、なんとか走り切れました。それがクローズドコースでのはじめてのレースですね。ちょうど免許を取って1年経ったころです。
HWSM そこでレースの楽しさを覚えたと。
六花(娘) そうですね。そのレースがきっかけで楽しくなってきたんですけど、今度はオーナーに「全日本のレースに出るぞ」って言われて(笑)。
千耶子(母) 半年ぐらい説得されてたんですけど、私はレースの世界を知ってるから、こんなデカいマシンで本気のレースなんて出させたくなくて。危ないし、怖いし、ケガしたらどうするのみたいな。それでずっと断り続けていて。
六花(娘) 自分も絶対出たくなかったです(笑)。競争するのとか好きじゃないし、4ストのSX-Rも持ってなかったので。でもしばらくしたらオーナーが「あるぞ」ってマシンを用意してくれてて(笑)。
耐久レースで4ストSX-Rの楽しさがわかっちゃったからちょっと迷ったんですけど、やっぱり「固定ハンドルじゃないとまともに乗れません」ってお断りしていたら、あっという間に固定ハンドルになってて……(笑)。
「デカールもここで頼め」って言われて、いつの間にかマシンが完成してました。ここまでやってもらったらもう断れないと思って、お母さんと割り勘でそのマシンで買いました。
HWSM 高校卒業して間もない10代の女の子が、水上バイクを割り勘で購入するなんて驚きですね。
千耶子(母) 最初は自分のマシンだから自分で買うって言ってたんですけど、さすがに親は何やってるんだってことになっちゃうので、旦那と相談して半分はサポートさせてくれって。
六花(娘) あまり遊んだりしていなかったのと、高校を卒業してからひたすらバイトをしていたので(笑)。
千耶子(母) 海外のレースにも自分でバイトして貯めたお金で行ってますね。レースごとにエントリー代もかかるので、「貯金が……、貯金が……」っていつも悲しい顔をしています。
六花(娘) 服はしまむらで、あとは両親の服を拝借してます(笑)。
HWSM お金を使うのは水上バイクのことばかりなんですね。
六花(娘) あとは推し活を少々……(笑)。
HWSM それで自分のマシンを購入されてから、随分乗り込んだようですね。
六花(娘) 別に速くなりたいとはそんなに思っていなかったんですけど、乗ることが好きになっちゃったので。
千耶子(母) 一度乗りだしたらホントに帰ってこないんです。
六花(娘) 速くなろうとしていたわけではないんですけど、「このコーナーこうやって曲がったら速くなるかな」って考えながら乗るのが楽しくて。
千耶子(母) 夢中になってからは私が誘わなくても毎週乗りに行ってましたね。前はお昼過ぎにノンビリ行ってたのに、「みんながいるから早く行かないと!!」って。
六花(娘) 水上バイクが楽しくなったのは間違いなく今のチームに出会ったからですね。
HWSM 速くなることに執着がないとはいえ、レースで勝つためには速くなる必要がありますよね。
六花(娘) 節目で「速くなりたい」と思うことはあるんです。最初にそう感じたのははじめてJJSAの銚子大会に出たときで、「どうせ3周とかラップされるんだろうな」って思いながら走ってたんですけど、コースが大きかったのもあって周回遅れにはならなかったんですよ。すぐうしろにはいたんですけどね(笑)。
それで走りきったらチームのみんなが喜んでくれて、褒めてくれたので、そこで「もうちょっと速くなってみたい」ってはじめて思いました。それからもなかなか結果は出せなかったんですけど、頑張って練習はしていました。
HWSM 競争するのがそれほど好きではないのにレースを続けているのは、それが理由でしたか。
六花(娘) マリオカートとかで勝負するのは好きなんですけどね(笑)。でも「誰かに勝ちたい」というよりは「もうちょっと上手くなりたい」という感じです。
気絶するまで走り続けた
世界チャンピオン獲得の壮絶な裏側
HWSM 2022年はレース参戦2年目で海外レースにも挑戦されましたね。
六花(娘) タイのワールドカップ(WGP #1 WATER JET WORLD CUP)に出ました。オーナーがいつものように「出るぞ」って(笑)。あとは同じチームで一緒に練習していたトシくん(小原聡将選手)が出ていたのも理由のひとつです。
HWSM はじめての海外レースはいかがでしたか?
六花(娘) 国内のレースに出るごとに少しずつ自分が速くなってきたのは実感していたんですけど、行く前にみんなが「海外にはトシくんの女の子バージョンがたくさんいる」って言うんですよ(笑)。練習でトシくんに全然追いつけないのに、そんなひとがいっぱいいるならダメじゃん、またビリか……って思いながらタイに行きました。
HWSM 結果は思ったより良かったようですね。
六花(娘) ストッククラスでマシンの差がなかったからですかね。トップのひとたちには全然足元にも及ばなかったんですけど。
千耶子(母) いやいや、MOTO 1でトップでゴールしたときは、お母さんテレビ見ながら震えたけど。
六花(娘) なぜか一番取れちゃったんですよね。ホールショットでトップを走ってたときも、「次の周回で抜かれるかな」「そろそろかな」って思っていたんですけど、全然抜かれなくて。自分でもビックリしました。
それでレースが終わったあとにスマホを見たら、LINEが200件とかきていて。日本からリアルタイムで見てくれていたみたいで、それがすごいうれしくて。こんなに応援してもらってるんだって感じられたはじめての海外レースでした。
HWSM 海外レースを経験して、何か変わったことはありましたか?
六花(娘) 1年目のタイが終わったあと、今までは順位にまったくこだわってなかったんですけどはじめて「1位になりたい」と思うようになりました。みんながあれだけ喜んでくれたのがうれしくて。だから練習の方法とかもちょっと変えて、もっと速くなれるよう頑張ろうって。
千耶子(母) みんなは15分乗ったら一度戻ってくるんですけど、以前はこの子だけ走り続けてたんですよ。みんなが乗り出す前にもひとりで乗っているのに。
六花(娘) 自分が考えたことを実践したり、何か掴めるかもしれないと思ってひたすら乗ってたんです。効率が悪いのはわかっていたんですけど……。
千耶子(母) 体力がすごいあるので、誰かが止めないと気絶するまで乗っちゃうんですよ。何回か救急車で運ばれたこともあって、病院で検査してもらったら「赤ちゃんと同じで自分が疲れていることに気づけない」っていう体質みたいで。
六花(娘) 疲れてるはずなんだけど「まだいける」って思っちゃうんです。
千耶子(母) ガソリンを80リットル持って行ったのに足りなくなって、みんなからわけてもらったこともあったね。
六花(娘) 周りにも迷惑をかけちゃうしムダも多いので、みんなと同じタイミングで走りだして、みんなと同じ……ではなくてみんなより少しだけ長く乗ってから戻るようにしました(笑)。
あとタイのレースの前後は自分のマシンが手元になくて、他のひとに貸してもらって練習していたんですけど、それがメチャクチャ乗りやすかったんです。はじめて自分に合ったセッティングとか乗り方を意識するようになって、自分のマシンが返ってきてからガチャガチャガチャいじりました。
千耶子(母) 倒れるまで乗ってたからか、ほんの少しの変化にも気づけるようになったんですよね。あそこが壊れてるとか、あそこがおかしいって戻って来て、他のひとはそんなことないだろうって言うんですけど、実際には壊れてたり。
六花(娘) 自分がただがむしゃらに頑張るんじゃなくて、マシンのことも理解しようと思ってから急激に成長できた気がします。それが結果にも繋がったんですかね。
HWSM 2023年は国内シリーズで見事チャンピオンになりました。
六花(娘) 結果としては優勝できたんですけど、他のひとのミスがあったり運の要素も大きかったのかなって思います。
千耶子(母) 私はミスをしなかった娘がエラかったと思ってますし、ビリからスタートしても諦めずに追って追って一番までいけたこともあったので、それぐらいの実力をつけたのかなって。
六花(娘) スタートが上手くないのか、いつも合流はうしろのほうだったんですよ。そこで「諦めないぞ!! 頑張るぞ!!」とは思えなくて。気持ちとしては「うわぁ、また最後かぁ、ツラいなぁ」って思ってました(笑)。
ただ2023年のシリーズ戦は、そんな状況でも冷静に淡々と走れたというか。前のひとがアウトコースにいったから自分はインにいくとか、考えながら走ってました。
HWSM 少し余裕が出てきたんですね。
千耶子(母) それでもスタート前は「大丈夫かなぁ~、スタートいけるかなぁ~」って今でも緊張してますけどね。
六花(娘) すごい緊張しちゃうんですよ。「みんな怖いよぉ~」って(笑)。
千耶子(母) 足なんか震えちゃったりしてますよ。
六花(娘) スタートしちゃえばいいんですけど、走り出す前はヤバいです。
HWSM それでもわずか3年でチャンピオンになれたんですから、すごいことです。
六花(娘) 勝ちたいとかよりも、毎レース自分のベストを尽くすことを考えて走ったら結果が付いてきてくれた感じです。
HWSM そしてご自身にとって2度目のワールドカップで、見事世界チャンピオンに輝きました。
六花(娘) 結果は良かったんですど、今までのレースのなかで一番ツラくて。
HWSM 何がそんなにツラかったのですか?
六花(娘) まずはチームの人員不足ですね。出国する直前にチームオーナーと母が行けなくなっちゃったんですよ。
千耶子(母) ライダー3人とメカニック2人、あとはトシくんの奥さんとまだ小さい娘さんで、サポートできるひとが足りていなかったのは本当に申し訳なかったですね。
六花(娘) 途中からトシくんのお父さんとお母さんも来てくれたので少しラクになったんですけど、それまでがメチャクチャ大変で。土曜日の夜中にタイに着いて日曜日から動きはじめて、さっそくマシンのテストもはじめたんですけどこれが地獄で。
足回りは決まってたんですけど電気系統の調整が必要で、走っては陸に上げて作業して、っていうのを何十回も繰り返したら、初日で全身筋肉痛になっちゃって。ただ走るごとにマシンの小さな変化が感じられて、それが自分は楽しくなっちゃったんですよね。
千耶子(母) 日本から心配してましたよ。夜になっても六花たちがテストから帰ってこないって。
六花(娘) 夜7時で真っ暗のなかテストしてました(笑)。それを日曜と月曜の2日間続けて、火曜日に練習走行があったんですけど体がバキバキなのでちょっとしか乗らなかったんです。
それで水曜日から本番だったんですけど、もちろん朝から体はバキバキ(笑)。肘をちょっと曲げるだけで痛いし、力も入らないし、立ってるだけでツラくて。そんな状態だったので、正直言うとまともに走れたレースは一度もありませんでした。
HWSM そんなにヒドい状態だったのですね。
六花(娘) 私にしては珍しく「今回は1位になりたい」と思ってMOTO 1に臨んだんですけど、スタートで思いっきり被せられてもうビリなんですよ。合流前になんとか1人は抜いたんですけど、そこで体に限界がきまして(笑)。その時点で前には5人ぐらいはいて、「もう終わったぁ~」って思っていたんです。
でもそのときは海がけっこう荒れていてので、自分が「ここで抜きたい」っていうタイミングで前のひとが体勢を崩したり運も味方してくれて、周回ごとに順位が上げられたんです。それでラスト1周のところでも1人抜いたんですけど、もう前のひとが見えなくて。
さすがにもう無理だけど、ミスしないようにこの順位をキープしようと頑張ったんです。腕も足も全身バラバラになっちゃいそうなぐらいツラかったんですけど、なんとかそのままゴールできて。
それでみんなのところに戻ったら「うわーー!!」って盛り上がってて、自分は「え? なんですか?」って感じだったんですけど、結果は1位だったみたいで。
HWSM 満身創痍での1位ですね。MOTO 2もそんな状態で走ったのですか?
六花(娘) 2時間後ぐらいにはMOTO 2だったので、相変わらず全身バキバキの状態で走ったんですけど、また合流でビリだったんですよ……。MOTO 1はそこから1位になれましたけど、「もう一回いける!!」とは思えなかったです。体もツラくて。だからとにかくミスだけはしないように、少しずつ順位が上げられたらいいなと思って走りました。
千耶子(母) マシンも調子が悪かったんですよね。水が入っちゃって。
六花(娘) ゴーイングメリー号って名付けたんですよ。ワンピースの。もう走れないって言われてるのに、最後まで走ってくれたので(笑)。ただMOTO 2はそれほど順位を上げられなくて、4位で終わりました。
HWSM その翌日がMOTO 3とMOTO 4のレースですね。
六花(娘) 前日と変わらず朝から体がバキバキだったんですけど、その日は特に疲れていて。
HWSM 疲れを感じづらい六花さんがそう言うなんて、かなり疲労が溜まっていたんですね。
六花(娘) ホントに疲れちゃってギリギリまで寝てたんですけど、自分の3レース前にチームライダーのレースがあったので大急ぎで支度して。朝ご飯も時間がなかったから少しだけ口に放り込んで会場に行って、水を運んだり写真を撮ったりバタバタしてました。
千耶子(母) 人手不足でチームライダーのサポートもしなきゃいけないから、休む暇がひとつもなかったんですよ。
六花(娘) 自分が行かないと、ライダーとホルダーだけになっちゃうんですよ。船台を上げたりするひとがいなくなっちゃうので行ってたんですけど、体がホントにしんどくなってきて。
自分の体調管理まで頭がまわらないような状況でそのままMOTO 3も走って、結果もこの大会で一番悪い5位だったんですけど、走り終わった直後に倒れちゃって。
千耶子(母) それで私のところに電話がかかってきて。低血糖・低血圧で体温も33℃とかで仮死状態みたいになっちゃってると。そんなことを聞いたら、もう最後のMOTO 4は走らないでくれと。
娘の体が心配だし、レース中に気絶したら危険じゃないですか。だからもう走らないように止めてくれってお願いしたんです。さすがに体も動かないだろうし、出ないだろうとは思ってたんですけど、本人は「走りたい」と。
六花(娘) せっかくタイまで来たので……。
千耶子(母) 電話越しに泣きながら「とにかく止めてほしい」「走らせないで」と言ったんですけど、「最後は本人が決めることだから」と言われて、それもそうだよなぁと思って。
六花(娘) いつもは倒れちゃうと3~4時間は体が動かなくなっちゃうんですけど、大会の救護スタッフのひとがものすごく甘くて美味しいパイナップルジュースみたいなのを飲ませてくれたり、あとは直前に少しだけ食べたのがよかったみたいで、このときは1時間ぐらいで動けるようになったんです。
MOTO 3とMOTO 4のあいだは3時間ぐらいあったのでそのあいだにちょっと寝かせてもらって、みんなが買ってきてくれたご飯とか甘いものを食べて、なんとか動ける状態には回復したんですよ。だから走れるかなって。
HWSM それでなんとかMOTO 4も走ったと。
六花(娘) スタートはまた……、いや今度はビリから2番目でした(笑)。走る前にポイントを計算をしてたんですけど、暫定1位のひとに対して私が2つ前の順位にいないとチャンピオンにはなれなかったんです。
それなのにスタートは最悪で、MOTO 1のデジャブかってぐらい波があるし、体は痛いし。「終わった~」って思ってました。
ただMOTO 1も同じような状況で1位までいけたので、ミスをしないで自分ができるベストの走りをしようと思って頑張ったら、1周目で前のひとにメチャクチャ近づいたんですよ。それで2周目に抜けたんですけど、次は目の前に暫定1位の選手がいて。「あと2人抜けばいいんだ!!」とは思わなくて、「ムリだろ」って(笑)。
HWSM そこは頑張るところでは。
六花(娘) ちょっと厳しいでしょって思ってましたけど、できる限りの努力はしようと思ってました。ただ残りの周回数を考えると、1周で1人ずつ抜いていかないと間に合わない感じだったので。「選択コースで全力で抜きにいこう」と考えて、他でミスをしないで体力を温存する走りをしてました。
それが思ったよりうまくいって2人抜けたので、暫定1位の選手の2つ前までいけたんです。これでこの順位をキープすれば勝てる、と思ったんですけど、いや待てよと。
1位の選手が私のうしろまで順位を上げちゃったら、ダメなのでは? ということに気づいて、「もう1人保険で抜かなきゃダメじゃーん!!」ってなって(笑)。
ただもう1人がメチャクチャ前にいて、これは厳しいなって思ったんですけど、なぜか自分は「ここで抜かないとチャンピオンにはなれない」と思って。残り1周しかなかったんですけど、死ぬ気で走ってたら少しずつ差が縮まっていって、最後のチェッカーブイのところで抜くことができました。結果2位でしたね。
千耶子(母) テレビで見ていて鳥肌が立ちました。あれ? 最後に飛んできたの六花? って。会場にいたひとも最後の最後で六花が抜いたのを気づいてなかったみたいで、優勝インタビューもタイの子が受けてました。
六花(娘) あれは悔しかったです(笑)。大型モニターに大々的にチーム名とか出してほしかったのに……。
千耶子(母) 結果的に六花がチャンピオンになれましたけど、走れなかったMOTO 1以外は金子真珠ちゃんが全部1位だったので。まともに走れていれば彼女が完全勝利でチャンピオンだったのかなと。現地での知名度も段違いでしたからね。
六花(娘) そこはちょっと悔しかったし、今後の頑張りどころですね。
HWSM スタートで苦戦しながらも結果が残せたのは、今後の自信にもなりますね。
千耶子(母) それは見ていた私もすごいうれしくて。国内シリーズでもそうでしたけど、うしろからでも抜いていける実力をもったんだなって。2023年はすごくいいレースだったなって思いました。
六花(娘) レースのなかで成長できた年でしたね。
親子ならではの楽しさと難しさ
HWSM 六花さんが水上バイクにハマってから、おふたりの関係に変化はありましたか?
六花(娘) 家でひたすら自分の走りについての自己分析を聞かせる、ということをやるようになりました(笑)。
千耶子(母) 考えていることが細かすぎて、圧倒されちゃって答えが出てこないんです。私は感覚で乗るタイプだったので。だから「なんで何も言ってくれないの!!」って怒られてます。
レースのときも「ダメだった」って自己分析することが多くて、私が「速かったよ」「上手かったよ」って言うんですけど、「お母さんはそんな風にしか言わない!!」ってなぜか怒られてます。
私からしたら上手くなってるし、ちょっとコケたぐらいでそんなに思い詰めなくてもいいのにと思ってるんですけど。
六花(娘) 上手いって褒められるのがあんまり好きじゃないんですよね。レースの結果で褒めてもらえるのはうれしいんですけど。自分がミスしたときは、ちゃんと指摘されたいんです。だから自分としては褒められるような走りができてないので「なんで褒めるの!?」ってなっちゃうんです(笑)。
千耶子(母) 親子だからこそ一緒にやってて良いところも悪いところもあるんです。周りにも二世ライダーが増えてきていて、親が結構厳しくしていたりするんですよ。
私も元レーサーですけど「親から厳しく言われたらイヤだろうな」って思ってるので、それだけはやらないようにしています。だからレースに行っても娘だけのために何かをするんじゃなくて、チーム全体を助けてあげられるように動いてますね。
六花(娘) レース会場に行ったら親子だけどチームメイトの一員になるので。
千耶子(母) スケジュールの管理をしたり、ご飯を食べさせたり。
六花(娘)「メシ食えー!! メシ食えー!!」って(笑)。
千耶子(母) 娘だけじゃなくてチーム全員のサポートをしてる感じです。
六花(娘) レース会場では親子って感じではないですね。でも「それじゃあ効率が悪いよ」とか文句を言ったりするんですけど、それは親子だから言いやすいっていうのもあるかも。
千耶子(母) チームでは言いづらいことも家に帰って話したりするしね。
HWSM「いつか子どもと一緒に水上バイクに乗る」という夢が叶って、今はレーサーとしての娘さんを応援する形に変化しているんですね。
千耶子(母) そうですね。練習のときもみんなのお昼ご飯を作ったりするし、ゆくり(小原選手の娘さん)の面倒も見てると乗るヒマが全然なくて。最近は娘に「お母さんも乗りなよ!!」って言われてます。
HWSM 最初のころとは立場が逆転してますね。
千耶子(母) 衰えないために乗らなきゃとは思ってるんですけどね。
六花(娘) 衰える? 年々強くなってるけど(笑)。
HWSM 今はもう六花さんの方が速いですか?
千耶子(母) 全然速いですよ。唯一勝てるのは550ぐらい。
六花(娘) あ~、あれはムリです。
千耶子(母) でも最近は見ている方が楽しくなってきましたね。「みんな速くなったなー」って。この歳になると上手くなりたいとは思わないので。健康のために乗るだけ。
HWSM 六花さんのお友だちからは、水上バイクに乗っていることについて何か言われたりしますか?
六花(娘) 高校の同級生と久しぶりに集まる機会があって、出会い頭にいきなり「六花なんかスゴイらしいね、何あれ?」って言われました(笑)。あと地元でトレーラーを引っ張ってるとすぐに私だってバレちゃうので、「さっきコンビニにいたでしょ」って見かけた友だちからメッセージがきたりします(笑)。
千耶子(母) そのなかから若い子が興味を持ってくれて、レースにも女の子がもっと増えてくれるといいですけどね。友だち連れてきなよ。
六花(娘) うーん……(笑)。高校はスポーツ科で入ったのでスポーツ好きな子は周りにたくさんいるんですけど、レースとなるとムズカシイかなぁ。
千耶子(母) ゆくりの成長を待つしかないね。
HWSM 水上バイクに乗ることがイヤになることはありませんか?
六花(娘) それはないですね。日曜日に乗るのは絶対なので。
千耶子(母) たとえば「体調悪いなら休もうよ」って言うと、「その1回休んだらあとがどうなるかわかってるの!?」って怒られます。一回ぐらい休んだっていいじゃんって思うんですけど、ストイックすぎて。
六花(娘) 週に1回しか練習ができないので、1回休むと2週間空くわけですよ。それだけでちょっと感覚が鈍ったりしてイヤなんですよね。
HWSM 水上バイクに乗ることは変わらず楽しめてますか?
六花(娘) もちろんです。ただ2023年は1位とかにもなれたんで、ちょっとプレッシャーを感じるというか……。自分はあまり期待されるのもニガテなタイプなので。
でも応援してくれたりサポートしてくれるひとがいるので、もっと頑張らないといけないとは思ってるんですよね。それが心の足かせにならないように気をつけたいと思います。
HWSM 水上バイクのレースはどこが楽しいですか?
六花(娘) レースを走るまでの過程が好きですね。速くなりたいっていうのが今の一番の目標なんですけど、そのためにやることが色々あって、それを1個ずつクリアするために考えることが好きなのかもしれないです。謎解きゲームみたいで。
自分ができなかったことができるのは楽しいですよね。でも前とくらべたら、競争することも楽しくなってきたのかもしれません(笑)。
HWSM 六花さんがレースに出ることに対して、千耶子さんは不安に思ったりしませんか?
千耶子(母) 最初は不安で「やめておけば」って説得もしたんですけど、本人がどんどん夢中になっていくのがわかったので、これは何を言ってもダメだなって。今は成長する姿を見るのが楽しくなってきたし、海外のレースにも出たりして「あんなに出不精だった子が」っていう変化も感じられてうれしくもありますね。
HWSM 最後に今後の目標を教えてください。
六花(娘) 一番の目標はやっぱり速くなりたい。これにはゴールがないから、終わりがない目標にしたほうがずっと頑張れるかなって思うので。あと2024年は女子のGPクラスに出ようと思っているので、そこで先に繋がる結果を残したいですね。まだ全然乗ってないのでヤバいですけど(笑)。
親子のホンネトーク
ここからは親子別々にインタビュー!
直接言いづらいことや親子ならでは悩みなどをホンネで語ってもらい、お互いへのメッセージをボードに書いてもらいました。
母から娘へ
HWSM 一緒に水上バイクに乗るようになって、六花さんに変化はありましたか?
千耶子(母) 高校時代は競泳に縛られすぎちゃって、食事も勉強も疎かになるぐらい泳いでたんですけど、そこから解放されたらたっぷり家で寝るようになったら、すっかり出不精になっちゃって。人見知りも激しくなってきたんで、ちょっと外に出て人と関わった方がいいんじゃないかっていうのもあって水上バイクに無理矢理誘ってたんです。それがいつの間にかしっかりして、社交的になって、目標までできて。私の「子どもと一緒に乗りたい」っていう夢を叶えたことが、結果として良い方向に導いてくれましたね。
HWSM 後輩レーサーとして何かアドバイスはありますか?
千耶子(母) 横で見ていて私が言えることはほとんど経験してるんですけど、ひとつ言えるのは勝てる選手になれたとしても女王様になってはいけないということ。いつも謙虚に、いつも自分より上がいるっていうことを自覚しないといけない。あの子の性格的にそうはならないと思いますけど、この先何があるかわかりませんからね。そうなったときにしっかり叱れる親ではありたいですね。今のところ「お母さんしっかりして!!」って怒られてますけど。
HWSM もっとこうしてほしいなどの要望はありますか?
千耶子(母) もう少しひとの気持ちがわかるようになってくれればいいなとは思います。私に対して(笑)。けっこうズバズバ言うタイプなので。あとは今までどおり楽しく、人との関わりを大切にして、ムリせずケガなくやっていってほしいですね。
娘から母へ
HWSM 一緒に水上バイクに乗るようになって、親子仲に変化はありましたか?
六花(娘) 仲良くなりましたね。それまでも仲が悪かったわけではないんですけど、自分が部活とかバイトでほとんど家にいなかったので。水上バイクに乗るようになってから一緒にいる時間も増えて、共通の話題もできて、共通のお友だちもできました。
HWSM 水上バイクに乗っているお母さんの姿を見てどう思いましたか?
六花(娘) 普通に乗ってるなー、ぐらいです(笑)。現役でレースに出ていたころを見ていないのと、最初は水上バイクにそれほど興味がなかったので、カッコいいとか尊敬したりとかは正直なかったです(笑)。
HWSM 水上バイクに乗るときは親子よりもチームメイトの関係性とのことですが、お母さんに何か要望はありますか?
六花(娘) レースでメチャクチャ忙しいときって、ご飯も食べられないんですよ。そういうときにも「メシ食えー!! 水飲めー!!」って何回も言ってくるんですけど、ムリなんです。だからそういうときは察して、1回で言うのをヤメてほしい(笑)。
心配して言ってくれてるのはわかってるんですけど、もうちょっと状況を見てくれるとうれしいかなって。あとは運転させてくれないんですよ。「私のクルマなんだから!!」って言って。そこもちょっと不満です(笑)。
HWSM いつまでも一緒に乗っていたいですか?
六花(娘) 水上バイクがなければ一緒に遊びに行くこともあまりないでしょうし、共有できるスポーツなんて他にないので。お母さんのボケ防止のためにもできるだけ長く続けたいなって思ってます。
撮影協力
エムジーマリーン
https://www.mgmarine.co.jp/