親子で同じ趣味を持つことに、憧れを抱くひとは少なくありません。
コミュニケーションのきっかけになったり、子どもが大きくなっても一緒の時間を過ごせたり、趣味が潤滑油となって関係が上手くいくこともきっとあるでしょう。
近年は水上バイクでも、子どもが免許を取得して親と一緒に楽しむケースが増えています。
ここでは水上バイクが繋ぐ様々な親子の物語を、少しだけ紐解いていきましょう。
12歳でレースデビューした国内最年少プロライダー
HWSM 水上バイクに乗りはじめたのはいつからですか?
博之(父) 私は1999年です。世田谷に店舗があったころのオートスワップ(現在は神奈川県平塚市)で中古のヤマハTZを購入して、九十九里(千葉県)のサンセットで毎週のように乗っていました。
HWSM きっかけは?
博之(父) オートスワップの隣にあった外車屋さんに友人が勤めていて、彼が岩野さん(オートスワップ代表)と仲が良かったこともあって水上バイクを始めることになったので、それなら私も乗ってみたいということで。
HWSM 水上バイクにはそれ以前から興味があったのですか?
博之(父) 元々サーフィンをやっていたんですけど、その当時は「邪魔くさいノリモノ」と思っていました(笑)。ただその一方で乗ってみたいとも思っていたので。
HWSM 九十九里で乗っていたということはフリーライド(波乗り)ですか?
博之(父) そうですね。最初はTZで波乗りをしていて、そのあとシードゥのXP 951に乗り換えて。しばらくしてスタンドアップにも乗るようになり、SJとか800 SX-Rにも乗っていました。その時に当時のトップライダーだった奈良崇さんとか原敬三さんとも知り合って、九十九里で一緒に乗ったりしていましたね。
HWSM その後もずっと九十九里で水上バイクに乗っていましたか?
博之(父) 2005年ぐらいまでは通っていたんですけど、結婚とかもあってだんだん足が遠のいてしまい、しばらく水上バイクとは疎遠に。
HWSM そこから復帰されたのはいつごろですか?
博之(父) この子(亜土夢さん)が生まれてしばらく経ったあとだったので、2012年ぐらいですかね。小学生ぐらいだったと思います。オートスワップが今の場所に移転したあとで、奈良さんに紹介してもらったのがきっかけでした。
HWSM それからはずっとオートスワップで?
博之(父) 毎週日曜日はかならず乗りに来ています。
HWSM 亜土夢さんも一緒に?
亜土夢(子) 父がここで乗るようになってからは毎週かならず一緒に来ていました。
HWSM 小さいころの水上バイクの思い出は?
亜土夢(子) ここでランナバウトとかバナナボートに乗せてもらっていたのは覚えています。
博之(父) 当時は800 SX-Rに乗っていたんですけど、家族ができたのでランナバウトも買って、それで遊んでいたりもしました。
HWSM お子さんやご家族で一緒に水上バイクに乗りたいと昔から思っていましたか?
博之(父) まさかそうなるとは思っていなかったです。九十九里で乗るのをやめてから、もう水上バイクに乗ることはないだろうと思っていたので。ただ800 SX-Rは手放さずにずっと持っていたんですけどね。どこかに乗りたいという思いはあったんでしょうね。
HWSM それからは毎週乗りに来ているとか。
博之(父) 毎週日曜日にほぼ来ていますね。水上バイクに乗らなくても家族で遊びに来ていました。
HWSM 亜土夢さんが覚えている水上バイクの最初の記憶は?
亜土夢(子) 初めて乗せてもらったときにいきなり全開で走られて、怖くて泣かされたのが最初の記憶です(笑)。
博之(父) 貴仁(前澤貴仁:プロライダーであり、現在は亜土夢さんのメカニックも兼務)が運転して亜土夢がひょこっと乗っかって、いきなり全開にするもんだから怖かったみたいです(笑)。
HWSM そこで水上バイクがイヤになりませんでしたか?
亜土夢(子) 最初はイヤでしたよ(笑)。こんなノリモノ乗れたもんじゃないなって。ただ自分で乗るようになってからは楽しさにも気づいて、今では毎週かならず練習しています。
HWSM 日曜日に友だちから誘われることもあったのでは?
亜土夢(子) もちろんありましたけど、「日曜日は水上バイクだから」って断っていて。仲が良い友だちはそれがわかっていたから、別の日に予定してくれたり。
HWSM 水上バイクよりも友だちと遊びに行くことを優先したくなりませんでしたか?
亜土夢(子) なかったですね。「日曜日=水上バイクに乗る」というのが当たり前だったので、そこに疑問もありませんでしたし、イヤでもなかったので。
HWSM 反抗期とかで親と一緒にいたくない、ということは?
亜土夢(子) よく聞かれるんですけど、そういう感覚になったことはないですね。自分のなかで「日曜日は家族でマリーナ」というルーティンなので、行きたくないと思ったことがないです。
博之(父) 当然、反抗期とかもあって、ケンカをすることもありますけど、うちの家族の中心には水上バイクがあるので。何があっても日曜日が来れば家族でマリーナに行きますから。
HWSM 小さいころから操船してみたいと思っていましたか?
亜土夢(子) 最初のころはどうだろう……(笑)。
博之(父) 周りにプロライダーがいる環境だったので、刺激は受けていたと思います。
亜土夢(子) 免許は16歳になる前に取りに行って、16歳になると同時に交付してもらいました。
博之(父) その年からレースにも出場しましたね。1月が誕生日なのでそこで免許をもらって、4月にはレースで走っていました。
HWSM 元々レースに出るつもりだったのですか?
亜土夢(子) 2016年にアメリカのワールドファイナル(世界大会)を見に行ったんですけど、そこには写真でしか見たことがなかったマック(クリス・マックルゲージ)とかテラ(テラ・ラホ)が普通に歩いていて、彼らのレースも目の当たりにして。それが衝撃で、あとは自分より小さい子も普通にレースをやっていて、それを見たら「自分もレースをやってみたい」と思うようになって。
博之(父) それが小学校5年生の時で、その翌年の2017年にもう一度ワールドファイナルを見に行って、本人もやる気になっていたので「来年は出てみるか」と。
HWSM 日本で免許を取得する前に海外のレースに出場したと。
亜土夢(子) ワールドファイナルに出るためにはIJSBAの公認レースで出場権利をもらう必要があったので、学校を4日間だけ休んで母とふたりでアメリカのシリーズ戦に弾丸でスポット参戦したのが最初のレースでした。
HWSM そのレースのことを覚えていますか?
亜土夢(子) 鮮明に覚えています。12歳だったので10歳から12歳のジュニアクラスに出たんですけど、最初はコースを覚えるだけでも大変で。初めてだからわからないことばかりで、しかも英語だからなおさら理解できなくて。エントリーするだけでも大変でした。もちろん母もレースのことなんてわからないので、一緒に付き添ってくれたコーディネーターさんに聞きながらなんとかレースに出られた感じです。走ってしまえば意外と乗れたしなんとかなったんですけど、とにかく大変だった記憶がありますね。
博之(父) 一緒に走ったのが今はプロクラスで活躍するセバスチャン・ジレーロとかだったんですけど、土曜日の1戦目が2位で、日曜日の2戦目が3位で。
HWSM それでワールドファイナルの出場権が得られたと。念願の世界大会はいかがでしたか?
亜土夢(子) スタートグリッドで震えてました(笑)。緊張しすぎて。走っちゃえばなんともないんですけど、スタート前がとにかくヤバかったです。
HWSM 当然、日本人は周りにいないですよね?
亜土夢(子) いないですね。アメリカとかヨーロッパの子どもたちが20人ぐらい? いたと思います。結果は6位でした。
HWSM 憧れの大舞台で素晴らしい結果ですし、貴重な経験ができましたね。
亜土夢(子) 今考えればそうですね。なかなかできない経験をさせてもらいました。セバスチャンとか一緒に走った子どもたちとレースの合間に遊んだのも良い思い出です(笑)。結果も自分が思っていたより良かったですし、次への課題もたくさん見つかって手応えも感じられたので。ただ日本に帰ったら水上バイクには乗れないので、課題が見つかっても練習ができなかったのは歯がゆかったですね。当時は12歳だったので、あと4年は乗れないのかと。
HWSM 中学1年生で水上バイクに乗って、しかもレースに出ている子なんて周りにいないですよね。
亜土夢(子) そもそも「水上バイクって何?」っていう子がほとんどなので。それのレースでアメリカに行くなんて、なおさら意味がわからない感じで。写真を見せてもイマイチ理解できない様子だったので、周りの友だちからは漠然と「なんかスゴいことしてるっぽい」みたいな印象だったと思いますけど、応援はしてくれていました。
HWSM ワールドファイナルは学校を休んで出場を?
博之(父) 2週間ほど休んだんですけど、事前に「他はいっさい休ませないから、なんとか行かせてほしい」と直談判しに行きました。すんなり送り出してくれたのはありがたかったですね。
HWSM きっと日ごろから優等生だったんですね。
亜土夢(子) 優等生ではなかったです(笑)。
HWSM その後、海外レースは?
亜土夢(子) 2019年にもう一度ワールドファイナルに出場しました。13歳だったので、13歳から15歳のジュニアクラスです。当然前の年からまったく練習はできていなかったので全然乗れなくて。結果は10位でした。周りの海外勢はこの1年で毎日のように練習してレベルアップしていたので、その差は大きかったです。
HWSM そこでレース活動はいったん休止に?
亜土夢(子) コロナの流行が始まっちゃったので、何もできなくなっちゃいました。
HWSM そこから免許を取るまでの3年間はお休みしていたと。部活動などはされていましたか?
亜土夢(子) 中学と高校はサッカー部でした。
博之(父) ただ免許を取ったあとは毎週日曜日に練習をしているので、それも学校に話しをして大きな大会以外は水上バイクの方を優先させてもらってましたね。
HWSM 2022年からJJSA全日本選手権シリーズに参戦されましたが、国内での初レースで、ご自身にとって久しぶりのレースは緊張しましたか?
亜土夢(子) やっぱりスタートグリッドに並んだときは緊張しましたね(笑)。頭が真っ白になっちゃって、走り出したあとも何回ミスコースしたかわからないぐらいで。最終的にはブラックフラッグを振られて途中リタイアみたいな(笑)。最初のレースは散々でした。
博之(父) ただまともに走れば戦える手応えはあったんじゃない。
亜土夢(子) 1位のひとに離されずに走ることはできたので、やれそうな感触はありました。
博之(父) うしろを走っているときはいいけど、前に出た途端にどこかに行っちゃうみたいな(笑)。
HWSM そのまま順調にポイントを重ねて年間2位になり、翌年はAクラスに昇格されましたね。
亜土夢(子) Bのときは全戦出られなかったのでチャンピオンは狙っていなかったんですけど、Aは全部出てシリーズチャンピオンを狙おうと思って、あらかじめレースの日は休ませてもらえるように学校にお願いしました。高校3年生で受験シーズンだったんですけど、担任の先生が理解あるひとだったので。それでレースに専念できて、Aクラスでシリーズチャンピオンになれました。
HWSM 最短でPROクラスまで昇格しましたが、2024年のシリーズは出場数がかなり減りましたね。
亜土夢(子) 3戦しか出られなかったですね。大学生になって1年目で、大学の勝手もわからない状態だったのでとりあえず様子見の1年にしました。
HWSM 日本のトップカテゴリーに参戦した感想は?
亜土夢(子) 最初のレースが大阪のアジアカップ(WGP#1 Asian Championship 2024)だったので、ケビン(ケビン・レイテラー)とか世界のトップライダーも出場していて、まるでワールドファイナルに出ているような感じで(笑)。いつもどおり緊張して震えていましたけど、それでも楽しみな気持ちの方が強かったですね。
博之(父) 右を見れば桜井直樹さん、左を見れば山本陽平さんとか、雑誌で見ていたひとたちですからね。そこに亜土夢が並んでいるだけでもワクワクしましたよ。そこに世界の有名選手もいるんですから、あれは緊張しますよ。
亜土夢(子) 今シーズンはスポット参戦なのでシリーズポイントも意識せず、自分がどこまで戦えるか挑戦できるいい機会でした。
博之(父) 予選でケビンより前の2位を走っていたときはお父さん涙出ちゃったよ(笑)。世界のトップライダーの前を自分の息子が走っているなんて、私のなかでは映画を見ているような感動がありました。もうそれだけで満足しちゃいましたよ。
亜土夢(子) まだ予選なのに(笑)。でも予選落ちもありえた状況で4位だったのはよかったです。
HWSM 手応えは?
亜土夢(子) ありましたね。ただ課題もたくさん見つかったんで。
博之(父) 体力が全然違いますよね。Aクラスだと長くても8周とかですけど、PROになると12周とかに増えて、その4周で体力がなくなって抜かれちゃうんですよ。途中までは上位も狙える位置にいるんですけど、ズルズル順位が落ちていっちゃう。
HWSM ご自身もレース中にスタミナ切れを感じますか?
亜土夢(子) ホームストレートに帰ってくるたびに「まだ4周もあるの!?」ってゲンナリするので見ないようにしてました(笑)。しんどくなっちゃうので。だから体力作りは課題のひとつですね。
博之(父) 日体大に行ってるのに体力がないってどういうことだよ!? とは思いますよね(笑)。
HWSM 水上バイクに乗る以外のトレーニングは?
亜土夢(子) 家の近くにあるトレーニングジムに週1回はかならず行ってます。
博之(父) 体育系の大学に行ってるので、「大学でやってこい」って言ってるんですけどね(笑)。
HWSM 亜土夢さんがレースに出るようになって、親子の関係に変化はありましたか?
博之(父) 最初にワールドファイナルにでたころとか、Bクラスを走っているころは、私が持っている知識を共有して指導したりしていたんです。私自身にレースの経験はありませんけど、昔からトップライダーと一緒に乗ったり間近で見てきた知識があるので。それがAとかPROになってくると、息子も自分で感じて考えられるようになってきたので、もう私が何か言っても聞く耳は持たないです(笑)。それは成長だとも思うので、悪いことではないですけどね。
HWSM 来シーズンはフル参戦する予定ですか?
亜土夢(子) そうですね。国内は全部出て、ワールドファイナルもそうですしタイのワールドカップにも出たいですね。
HWSM レース活動が忙しくなりそうですね。
博之(父) お父さんもサポートするのが大変になります(笑)。年齢的にもいい時期なので、結果を残してくれたらいいなと。たぶん大学にいるあいだしか今みたいなレース活動は難しいと思うんですよ。だから私ができる範囲で応援はしてあげたいですね。
親子のホンネトーク
ここからは親子別々にインタビュー!
直接言いづらいことや親子ならではの悩みなどをホンネで語ってもらい、お互いへのメッセージを書いてもらいました。
親から子へ
HWSM お子さんがレースに出ることに不安はありませんか?
博之(父) まったくありませんでした。息子の乗り方を見ていると、他のライダーのことをよく見ているんですよ。どういうラインを走って、こうなった時にどういう動きをするっていうのを。だから接触することもほとんどないですし、その辺は安心しています。
HWSM 奥様は水上バイクのレースに理解はありますか?
博之(父) 彼女も結婚前から水上バイクに乗っていたので、理解はある方ですね。最初はすごい心配していましたけど、彼の乗り方とか技量が上がったのを見て今はそこまでだと思います。
HWSM もっとも身近で応援するサポーターとして、何かアドバイスはありますか?
博之(父) 技術的なことはもう私から言うこともないですし、戦える力量はあると思うので、あとは体力作りだけですね。自分でできることなので、ちゃんとやってほしいですね。それさえクリアすればいいところまでいけるんじゃないですかね。3位以内には入ってほしいかな(笑)。
HWSM いつまでもレースを頑張ってほしいですか?
博之(父) いつまでもダラダラやっても仕方ないかなとは思いますね。自分がいつまでにこうなりたいという目標をしっかり立ててやった方がいいかなと。ただ自分が好きでやりたいと思うなら、それは自分のできる範囲で続けていけばいいと思いますけどね。私が応援できるのは大学までなので、そこから先は彼自身が選択すればいいと思っています。
HWSM もしレースを離れたとしても、水上バイクには乗り続けてほしいですか?
博之(父) そうですね。健康にも良いノリモノだと思うので、スタンドアップでもランナバウトでもヴィンテージでも、どんな形であれ続けてほしいです。
子から親へ
HWSM 親子関係は良好?
亜土夢(子) どうなんでしょう(笑)。週に何回もケンカはしますけど、日曜日になったら一緒にマリーナには来ますし悪くはないと。
HWSM お父さんは厳しい?
亜土夢(子) 厳しい方だと思います。レースに関しても、日常生活に関しても。
HWSM お父さんに何か要望はありますか?
亜土夢(子) 毎レース泣くのはやめてほしいかな(笑)。ホントに毎レースかならず泣いていて、Bクラスのときからずっとなんです。走り終わってヘルメットを取ったらいつも泣いてるので。本気で応援してくれるのはうれしいですけど、恥ずかしくて(笑)。
HWSM 今はお父さんからのアドバイスはあまり聞かない、という話しがありましたが。
亜土夢(子) 父には今までお付き合いしてきた方たちを見本としたイメージがあるみたいで、もっとストレートはこう乗った方がいいとか、技術的なアドバイスもたくさんもらって、最初はすごくためになりました。それが自分の土台となっているのは間違いなくて、そのおかげでPROクラスまで上がれたと思っています。そのうえで今は自分の走りを動画で見たりしながら課題を見つけて、自分で考えてその課題を克服するようにしているので、父からのアドバイスも昔よりは聞かなくなったかもしれませんね。
HWSM 来シーズンの目標は?
亜土夢(子) 国内のシリーズ戦は全戦出る予定なので、やっぱりチャンピオンは目指したいですね。海外も3位以内で表彰台を目標に頑張りたいと思います。
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